QQ医療

2009年10月15日 (木)

急性腹症の救急診療:都心で

  とある患者さんが、急な腹痛で土・日と都心の病院で
 救急で見て貰ったところ、超音波画像を撮らなかったと
 いう事で唖然としました。
   
  腹痛なら、聴診・触診よりも、画像で
 お腹を探るるべきで、新人の内科医ばかり
 だったかと、がっかりする次第です。

    新人内科医であればこそ、レントゲン撮影に
 加えて、分からないなりに、参考書を
 片手にでも、USチェックをする意欲が欲しいモノです。

2009年8月24日 (月)

顎関節脱臼、久しぶり。

 数年ぶりに、顎関節の脱臼整復を試みました。
簡単に処理できました。

 口腔内の深い所の口内炎の手当を
しようとして、顎が外れてしまったようです。
口が開きっぱなしで、まともな声がでません。
 大柄な若い男性で、ちょっと大丈夫かなと
心配しながら、口の中、左右両側、
臼歯の深さまでガーゼを絡ませた親指を入れ、
下顎の臼歯部をしっかり押さえ、両側の下顎角を
他の手指でしっかり持って、外れた下顎枝を
旧に戻す手技ですが、意外と簡単に戻りました。

 X-Pで確かめましたが、とにかく
声が出る、口が閉まるので、直ぐに確認できます。

 再脱臼が心配で、固いものを咬まない、
大口をあけないように注意して終わりました。

 
 肩関節の脱臼も、比較的、簡単なのですが、
ある時に筋肉質でがっちした体格の若い男性の際に
整復にてまどったことがありました。

 3人がかりで、体幹部と上肢の引っぱり合いを
している内に 前方に外れていた上腕骨がじわっと
動いてきて旧に戻りました。
 とにかく、良肢位で引っ張っているうちに
関節の自律調整が効いて旧に復位した感じです。
やせた女性などだと非常に簡単に整復できます。

2009年8月16日 (日)

急性歯髄炎

 メールで急性の歯髄炎の相談あり。

 こういうときは、No110 立効散
 有効です。
 
   私の常用薬でもあります。
 
  皮膚などアレルギーの体質の方は
  
 これを第一選択にすると良いと思います。

 「立効散など」

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_c7e8.html

  授乳中のおかあさんでも問題なし。

 

2009年8月11日 (火)

[活を入れる]  プレショックに

   久しぶりに「活入れ」によるプレショック治療を
  行う機会がありました。
  

    30~40才台の男性で、外傷処置中に
  顔色が蒼くなり、耳が遠くなってきたなど、
  不穏な訴えがありました。
  脈をとると、沈細微、亡陽に近い
  状態で、すぐにベッドの横たえて、いわゆる
  武道でいう「活を入れる・気絶した人を
  蘇生させる術
に準ずる処置」で以て
  回復させました。
   その後、外傷処置を続けるためラインを確保して、
  当然、輸液など約500mlも入れましたが、
  手技療法が良く効いたと思います。即座に
  手首の動脈の拍動が回復しましたから。

 
   以前から、外来診療などで若い女性などが、
  ショックようになった時に、よくこの手段で
   低血圧などショック様の状態から即座に
  回復させてきました。若い人の場合は
  大体は補液など不要です。
  「痛い」などと言う反応があれば、占めたもので
  その時には脈は元気を回復しており、約1~2分で
   治療終わりです。
  
   「活を入れる」、 簡単かつ迅速、非常に有効。

2009年6月28日 (日)

無麻酔での小手術

無麻酔下での小手術症例
    
   三例ほど経験あり。全て外国人でした。
   一人は豪州の菜食主義者の若者で、
  ケミカルが身体に入るのを極度に嫌い、
  局所麻酔無しで、顎の傷の処置をした
  ことがありました。見事に頑張って
  数針の縫合術に耐えました(当然男性)。
  
   もう一つは、韓国人の若い男性で、たぶん兵役上がり
  だったと思います。手背の傷を、麻酔不要と言う、
  本人の希望を入れて無麻酔処置をしたことがありました。
  
   最後の一例は、アメリカ人のご高令のご婦人、
  この方の気力には驚かされました。
   麻酔なしで良いということで、棘かなにかを
  指の爪下から抜去する小手術だった筈です。
  世界的に有名な会社の重役夫人だったと憶えています。
   若いアメリカ人女性が、この手の小怪我で騒ぐのを
  経験していましたので、この方の冷静・沈着さには
  脱帽しました。

2009年6月15日 (月)

排便ショック

      排便ショック

    最近、経験した80才過ぎの高令の
   ご婦人のショック様の症状です。
       大量排便の後、トイレで倒れてしまい、
      意識朦朧状態、動けなくなり、
      家人が寝床まで身体を運び、そのまま、
      朝まで爆睡状態だったとのことです。
      
       昔から診ている関係で、お嫁さんと共々、
      翌日来診。胸腹などの画像チェックを、
      一応しました。問題なし。

       とにかく、朝食を元気に食べた。来診時の
      言動、動作、表情に何ら問題なく、
      たぶん、排便ショックだったのでしょう、
      ということで診療を終えました。

2009年6月14日 (日)

排尿ショック  (名古屋・掖済会病院)

排尿(導尿)ショック

  (名古屋・掖済会病院時代)

かなり高令の男性が、尿閉で夜中に来院。

お腹全体がパンパンに張っている状態で、

膀胱に尿が多量に貯留している事は

一目瞭然でした。尿が出ていない訳で。

現在ならUSでチェック・確認するところでしょうが、

当時はそんな便利なものはありません。

 兎に角、導尿です。尿が出始めるとお腹の

緊満が徐々に取れてきます。それで診断の

確認となるわけです。

しかし、このケースでは1000cc近い

排尿があったようで、終了時には

ショックを起こしました。

あとで婦長から聞いた話で、現場の

看護婦さん中心に、大騒ぎに

なったという事でした。命に別状はありません。

なんだったか思い出せないのですが、次の

患者さんの作業に入っていて、その患者さんは

パラメディカルのスタッフなどに任せて

その場を離れていたかと思います。

 高令の方では、こういう排尿(導尿)ショックが

結構あります。

2009年4月 9日 (木)

QQ治療の神髄か

 QQ治療の神髄

  昔、30代の女性が救急車に乗せられて来院、

お付きか仲間かに伴われ、診察ベッド上に

横たえられたことがありました。

  上司になるベテラン医師が、椅子に座ったまま

慌てることもなく、何も言わずに様子を見ていて、

多分、ニヤッと笑ったのでしょうか。それに気づいた、

件の女性、荒い呼吸下、息絶え絶えの様子だったのに、

急に怒声を張り上げ、バッグを投げつけてサッサと

立ち上がり、診察室を元気良く出て行ったことが

ありました。床方向ではなく、医師に向けて水平投げでしたね。

心身ともに元気を回復、診療終わり!!

一件落着)

2009年3月 2日 (月)

倶利伽羅紋紋 Ⅲ

倶利伽羅紋紋 クリカラモンモンの世界

 K病院 (現在廃院)、都内新橋の有名私立医大
出身のK院長とは郷里が同じということもあり、
可愛がってもらいました。月曜日の早朝など
院長自らの車で、駅まで送ってもらったことなど
有りました。K市の基幹病院、市立病院に
類するレベルを維持するという姿勢で、
東大の脳外科医局からなど、優秀な医師陣を集めて
いました。(第一外科の教授による手術などあり)。

 当直医用の食事内容が凄く良かった思い出が
あります。
    
 松戸あたりの新開地に関係する出入りというか、
その筋の人たちが外傷を負っては、夜間や休日に現れ、
勉強させて貰いました。 

  暴走族の外傷も結構ありました。
   
 一晩に、纏めて3件、指を詰めた後の、
縫合手術をすることがありました。
何かの不始末の処理なのでしょう、姉御肌の
中年女性をまじえて、関係者など含め5,6名が
ドヤドヤと 来院、その内、3名が小指を
落とした直後の状態でした。
落とした指先は絶対持ってきません。

   別のケースですが、一緒に来た関係者が
「犬が食べた」とか、指先の所在を誤魔化して
 いた事があります

 ところで、処置は、鑢で骨端を削って、
皮膚縫合はドッグイアーに成らぬようにと
周到にデザインして、手術を行います。
 この時に、局所麻酔を拒否する、御仁は
皆無です。セレモニーの時は、無麻酔の筈なの
ですが、それが済めば、その筋の人と言え、
可愛い物です。痛くない方が良い。

      
 若い頃、研修医数年目の頃に入院していた
映画の脚本家と知り合う機会がありました。、
深作欽次監督の「仁義なき戦い」の取材で
広島で拾ったエピソードを聞きましたが、
指どころか、手腕関節から先の片手を
落とした、馬鹿ものというか、ほとんど病的な
モンモンの世界の人が居たと言うことでした。
 また、差し出された指先、複数個を
瓶の中、アルコール漬けにして保存していた
親分さんがいたとか。 

「仁義なき戦い」

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E7%BE%A9%E3%81%AA%E3%81%8D%E6%88%A6%E3%81%84

2009年2月28日 (土)

倶利伽羅紋紋 Ⅱ

倶利伽羅紋紋(2009.02.26)

一昔前に、千葉県のK市にあった、K病院で

週末などの救急をやっていた当時に、

その頃、新開地というか、松戸などで

住宅地などの造成など、大掛かりな地域開発が

行われおり、当然、その筋の方達も、集まってきて

いたようです。 憶えている限りでは、日曜日だったと

思います。QQ車で銃で撃たれた男性が運ばれてきたことが

ありました。銃創は下腹部で、小さいものでしたが、とにかく

それなりのしっかりした施設で、銃弾を早期に取り除く

必要がありと、QQ隊と色々と手を尽くし、最終的に

都内の秋葉原にある三井記念病院に移送が決まりました。

 そのQQ車に私も同乗して都内に向かったことがあります。

 三井記念側では、現在東大の心臓外科の教室を主宰している

T先生が、外科のレジデントのチーフをしていた時で、

彼の指揮のもと、日曜日ながら、さっと若手が集まり、

全身麻酔下、即座に弾丸摘出の手術になりました。

何故か、私もT先生の好意で、手術着に着替えて、

開腹手術に付き合うことになりました。

銃弾はお腹の中を動き回って、数カ所で腸を傷つけ、

最後は骨盤の骨壁で止まっていたと憶えています。

 埼玉医大の心臓外科の教授をしていた、当時は

若手の許先生が前立ちで、順調に手術は進み、最後は

ドレーンをあちこちに入れた状態で終わりました。

 後の話になりますが、この銃創患者は、受傷時に

抗争中の相手側の一人を殺していたようで、退院後は

殺人罪で刑務所行きということでした。一回、術後の

回復振りを診に秋葉原の三井記念に行きましたが、

ビッコをひきながらも、元気そうな立ち居振る舞いでした。

ところで、この人は倶利伽羅紋紋は彫っていませんでした。

2009年1月 3日 (土)

私のER体験  その3

昔は、年末年始に結構、泊まりでQQ医療に

従事していました。都内の救急制度がまだ

しっかりしていない頃、都立の広尾病院の

救急体制が出来上がる前で、色々の症例に

当たりました。

 クリスマスイヴの夜の泊まりで凄かった

思い出があります。旧防衛庁の近くの小さな

QQ病院で、一晩を過ごしましたが、

20~30名の患者さんをこなして、ほとんど

睡眠が取れませんでした。内科から外科疾患まで、

婦人科以外はほとんど、全部引き受けていました。

 別の機会でしたが、場合によっては救急セットを

持って走り、患者さん宅で救急救命の挿管を

したことがありました。

 そう言えば、池袋のQQ病院で正月を

過ごしていた時、QQ車に乗って元旦早々に

患者宅を訪れたことも在りました。

茨城の霞ヶ浦近くのM病院で、正月を

過ごした事もありました。

 院長が知り合いでその関係で正月をその

病院の当直室で過ごす機会を持ちました。

その時は、それほど荒れなかったと

憶えています。

 この院長さん、赤字の病院を建て直した

やり手で、労組との交渉の仕方のコツを伝授して

くれたことが有ります。慶応の医学部の出身で、

日本で初めて宇宙飛行士になった女医と

同窓の方でした。

私のER経験 その1(2008.08.14)

私のER体験 その2(2008.08.16)

2008年9月30日 (火)

最近の医師の診察技量

    40才代の主婦。数年前からの胆嚢結石で、

この1年ほど痛みが酷く、都内の某医療センターを

   紹介された由。手術の話になり、なんとか

   手術を受けない方法は無いかと、漢方を求めて

来院されました。

     数回、診察と処方して経過を診っていると、

どうも痛みは胆嚢より、主として胃十二指腸に

由来するもののようでした。

    患者さんに問いただすと、自分の内科主治医、

また紹介先されたセンターの部長クラスの医師も、

お腹を触らないと宣いました。

    唖然!!

最近の医学教育、医者造りに疑問を呈する限りです。

    私など漢方をやる御陰で、お腹(西洋医学的な

触り方でも、場合により3種類の方法を駆使します)

ばかりか、背中~腰~臀部も触り、各種の身体情報を

探すようにしております。 最近は首筋も

触ることが多くなっています。

    鍼灸に熟達した治療家では、四肢診、経絡診を

   診察に取り入れている方も多いと思います。

    しかし、問診・症状と機械検査に依拠する、

現代医療、そのデータ依存の診察スタイルには

恐れ入りました。

大病院の部長クラスの者がこの体たらくでは、

昨今の診療スタイル、また医学教育を再考する

必要が有りそうです。

   

  医師の診断技量が確実に低下している。

 画像検査と血液検査など、データのみに

 頼るやり方などでは、とんでも無い失策をしてしまうようです。

   若手の医師に言いたい。まず救急医療で診断能力を鍛えなさい。

データやら画像の結果を待っている内に、容態はドンドン

悪化していきます。診断・治療の為に如何に動くか、

とっさの判断が必要とされます。

       いい訓練になりますよ!!

2008年8月16日 (土)

私のER体験 その2

 

http://nagoya-ekisaikaihosp.jp/kyumei1.html

ここでは昼間は整形外科の研修医として勤務していました。

大学で1ヶ月研修したあと、ここへ移り、数ヶ月を過ごしました。

 当時30代後半のドイツ帰りの新進気鋭の部長のもと、凄い数の

手術をやっていました。数名の若い医師が忙しく立ち振る舞っていました。

キュンチャー髄内釘を使用した、その頃は国内でもまだ珍しい

大腿骨の手術を施行しており、その部長は講演などで飛び回っていました。

手術には、ドイツからわざわざ取り寄せた髄内釘を使用して

いました。大学に負けたくないというような意気込みで

診療治療に取り組まれていましたが、惜しくも夏の海の事故で亡くなられました。

この時の先輩医師のI先生が、現在都内、飯田橋にある

基幹病院(ラグビーの松尾が治療を受けていたので以前より有名です)の部長で、

現在股関節の手術を数多く手がけられています。

 ここではあっという間に、麻酔医の初歩テクニックを覚えさせられ

腰椎麻酔は当然、マスク麻酔から気管内挿管など、整形外科以外の面でも猛烈にしごかれ、得難い技術を習得させられました。

 手術場に入り始めて、1週間で麻酔を担当させられていたと

覚えています。当時は、麻酔科医がかなり不足していた状況が

ありました。その後上京してから、やはり麻酔を数ヶ月

研修させられ、ここ時は都内のS医大の麻酔科、I教授(後に

東大麻酔科教授)のところで、再度、麻酔学を勉強させられました。

私学独特の雰囲気で、のんびりと麻酔の技術を覚えていきました。

  この時に基礎を作っていたので、後に関係した2件の麻酔事故で

全例、助けることができました。腰椎麻酔による全脊椎麻酔です。

一人は30才前後の男性、一人は10代の男の子供さんでした。

気管内挿管して、呼吸を確保して麻酔薬の効果が切れるのを

待てばよいので、瞳孔の大きさを適時チェックなどしながら、

かつモニター心電図をみながら、呼吸管理に全神経を集中させて

1時間ばかし頑張っていると、四肢の動きが出てきて

それから、呼吸筋などが動いてきます。そして目が開くのを

待つわけです。 劇的です。自発呼吸が出てきて目が開く瞬間は。

救急医療を安全・確実にやるには、この麻酔技術とか

 心肺などを中心とした全身管理のやり方などをマスターしておくと

 非常に便利でかつ必須の知識・技術と思います。

一昔前、いや二昔前に、カナダのマッギール大学医学部の病院、救急外来を

訪問したことがあります。事前の挨拶状・紹介状無しでしたが、

非常に友好的に対応してもらえました。(Royal Victoria Hospital)

http://www.muhc.ca/pfv/rvh/

その時に、救急外来の担当医が大柄のやや若い女医で、

色々と話をしたのですが、気管切開のやり方で、

この医師によると鋏で横に切るという方法を紹介してくれました。

この時には、リーレー式に、私が興味を持つ各科、ICU

脳外科などに事前に連絡を入れて貰え、数時間にわたって

病院の中を、見学させてもらったことがありました。

休日でしたので、スタッフの皆さん、暇ということもあったのでしょう。

 滞在先の親戚のマンションにもどった時は、外出が長かったので

I夫妻にちょっと心配をかけ且つ非常に驚かれました。

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page220.html

 

2008年8月14日 (木)

私のER経験 その1

     最近うちの漢方の患者さんで、急性の疼痛にて都心の救急施設を
   利用する機会をもった方がいらっしやいます。
         
           とにかく医師の診療に辿り着くまで、かなり時間がかかるようで、
    だいぶ救急医療サービスが低下しているような印象を持ちます。
     職員の対応とか、医師の意欲などの問題もあるかと思います。
         
     私など、若手時代、夜間や土日・祝日の救急医療で医師の実力をつけたと
   自負している口です。
           
     武蔵野にある赤十字病院、名古屋の掖済会病院など、若い時代の救急医療の
トレーニングが非常に有益であったと思います。即座に判断、即治療ですから、極度の緊張にそれなりの体力・精神力を要します。
    名古屋時代には、始めて夜間外来に来院した胸痛の患者さんを、心電図検査で心筋梗塞と診断をつけ、その夜の内科の責任医師に再確認してもらい、すぐ病棟に送った時は、 非常に嬉しかったです。

  当時は、その施設では、一晩に100名前後の夜間患者が到来して、夜間受付に、  20~30名位が並び、昼間の 外来なみの混雑を呈する事がありました。
    ここの夜の救急では、一年目の若手が、数ヶ月の訓練の後、  最前面に出されてました。病棟にはベテラン医師が控えており、重傷者を 移送してきた救急車が数台重なる時は、救急室には数名の医師が集まり、 まさに戦場の病院と化します。
   

   ここの夜間外来の当直をすると、風邪の処方など一晩で覚える
ことができました。30-40名の風邪の患者が来れば、赤ちゃんから老人まであらゆる パターンの風邪処方を出すことになります。簡単な縫合手術なども、一晩で習得することとなります。   忙しいと寝るのは、早朝3時、4時で翌日は必ず休みをもらえました。
  でも、午前中に手術などがあると、助手として手伝うことがありましたが、
集中力が低下しているので、手術鉤を床に落としたりなど、ヘマをしてしまいます。      ただ手術そのものに悪い大きな影響を与えるようなミスは 有りませんでした。       まぁ、第3、第4助手ですから、手術執刀者からすれば、場合に寄れば、不要な存在ですので。。
         
   
     この頃のことを考えると、なんでもっと沢山の若手医師が、                     積極的に、救急医療で腕を磨こうとしないのか非常に驚く次第です。 
意欲ある若手医師が沢山揃えば、夜間の救急医療サービスなど、利用者を
十分に満足させることができると思うのですが。

      
  難しいケースの患者さんなど、CT・超音波ありで私の若手時代とは、
 雲泥の差がある位に診断技術が進んでいるので、症例稼ぎができると
 思うのですが。若手医師の奮起を期待したいものです。