日記・コラム・つぶやき

2009年12月16日 (水)

大学紛争 (全共闘) 

  大学が精神的、かつ物質的(安田講堂の炎上は、T君は
 某警察署の留置場拘留期間中)にも燃えていた頃、
 私はクラス会の議長をやっており、全共闘に対立する立場で、
 クラス会の運営をやってました。”学生さん”は勉強を
 しなくては、世の中に顔向けが出来ないではないかという、
 思いでした。

  一度、大学の芝生の上で、教養部全体でクラス会が、
 一斉に開かれた際に、うちのクラス主催の会が盛会となり、
 教養部の委員長や、廣松 渉教授という、当時の新進気鋭の
 若手の哲学の教授、但し全共闘のシンパ、が加わって
 きたりしたことがありました。 
  廣松さん、後に東大に戻り、教授をされましたが、
 晩年、病で倒れられました。件のT君が廣松教授がいるので、
 自分の弟を進学させたいなどで、電話を受けたことが
 ありました。

  所で、医学部というのは、結構、全共闘関係者が多く、
 その筋の幹部クラスからも、私の行動は疎まれて
 いたようです。睨まれていた? 全共闘の全額の報告会で、
 うちのクラスの代議員がそれとなく、私のクラス会での
 発言、対デモ・ストライキに対するサボタージュ行動を
 取り上げて報告してくれていました。
  しかし、私はクラスの総意を取り付けて、クラス会を
 運営しており、自分の行動に なんら疾しい気持ちは
 ありませんでした。
 
  この全共闘の幹部連、留年組が、クラスに2名おり、
 彼らがわざわざ、クラス会に出席の折には、肝を
 冷やしながら、議事進行をやってました。

2009年12月12日 (土)

留置所体験 (全共闘) ②

留置所体験 (全共闘)(2009.12.07)

  同じ全共闘の運動家で現地逮捕、留置所経験組で、

  病理学の教授になった同級生がいます。
  
   もうひとり、赤門の医学部出身で、とある大学の小児科の

  教授をしているT君。在学中に、学生運動の絡みで

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  前者もT君と言いますが、留置場で一番たちが悪いのは

ペテン師とのことでした。また後者のT君は、1回目は

オカマさんと同房にされ、いっぱしのノンポリラジカルの

活動家として逮捕された2回目は、暴力タクシー屋、

傷害罪のオヤジと同房にされた由。1回目には、

知り合ったこのマダムから、高額のビラ配りなどのアルバイトの

仕事を貰ってホクホクしていたら、そのバーの

ホステス(ホスト?)の仕事のお誘いとなり、慌ててアルバイトを

辞めたとのことです。

2回目の時には、社会正義に基づく、彼の弁論に対して、

タクシーの暴力運ちゃんから、「生意気言うな、学生は勉強しろ」と、

平手打ちを食らったということで、その後、同房の2名や

看守から陰湿ないじめを受けたようです。当時、19歳の

未成年者だったので長期の収監は免れたようですが、それでも

2週間の留置場滞在になったとのことです。

2009年12月 7日 (月)

留置所体験 (全共闘)

  ドイツからのたより(2009.12.06)

 元京大全共闘の豪の者。三里塚闘争で

    現地逮捕され、留置場で数週間を過ごされています。

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   そういえば、同じ全共闘の運動家で現地逮捕、留置所経験組で、

  病理学の教授になった同級生がいます。
  
   もうひとり、赤門の医学部出身で、とある大学の小児科の

  教授をしているT君。在学中に、学生運動の絡みで
  
  臭い飯を食する経験をしています。
  
   高校生時代からのキリスト教徒で非常に真面目な
  
  性格なのですが、あの大学関係者が狂った一時期に、
  
  デモにシンパとして応援参加していた程度なのに、
  
  不運にも逃げ遅れたか、要領が悪かったのか、

  デモ現場で逮捕され、ペテン師やら、こそ泥やら、

  粗暴犯やらと一緒に生活するという貴重な経験を

  2回もされています。
  
   そういえば、私も上海で公安関係者に1時間ほど、
  
  拘束されたことがありました。逮捕、留置所送りには
  
  なりませんでしたが。
  

2009年9月20日 (日)

蛍光灯が明々と

 蛍光灯が明々と。

  数週間、天井の蛍光灯が切れて、不自由していました。

 5,6年前の設置のもので、説明書手元に無し。

 取り外し方法などが、やっと判明して、本日

 例の山田電機(現LABI)で購入、見事に灯りが

 戻りました。寝所でしたのでかなり不便を託ちました。