大学紛争 (全共闘)
大学が精神的、かつ物質的(安田講堂の炎上は、T君は
某警察署の留置場拘留期間中)にも燃えていた頃、
私はクラス会の議長をやっており、全共闘に対立する立場で、
クラス会の運営をやってました。”学生さん”は勉強を
しなくては、世の中に顔向けが出来ないではないかという、
思いでした。
一度、大学の芝生の上で、教養部全体でクラス会が、
一斉に開かれた際に、うちのクラス主催の会が盛会となり、
教養部の委員長や、廣松 渉教授という、当時の新進気鋭の
若手の哲学の教授、但し全共闘のシンパ、が加わって
きたりしたことがありました。
廣松さん、後に東大に戻り、教授をされましたが、
晩年、病で倒れられました。件のT君が廣松教授がいるので、
自分の弟を進学させたいなどで、電話を受けたことが
ありました。
所で、医学部というのは、結構、全共闘関係者が多く、
その筋の幹部クラスからも、私の行動は疎まれて
いたようです。睨まれていた? 全共闘の全額の報告会で、
うちのクラスの代議員がそれとなく、私のクラス会での
発言、対デモ・ストライキに対するサボタージュ行動を
取り上げて報告してくれていました。
しかし、私はクラスの総意を取り付けて、クラス会を
運営しており、自分の行動に なんら疾しい気持ちは
ありませんでした。
この全共闘の幹部連、留年組が、クラスに2名おり、
彼らがわざわざ、クラス会に出席の折には、肝を
冷やしながら、議事進行をやってました。
