メイヨ兄弟 Mayo brothers
ウイルWilliam James Mayoは1861年にルスール生まれて、
その時代に開拓地を往診する父親に従って手伝いをしながら
招来の医師としての素養を磨いていったようです。
ミシガン大学University of Michiganの医学校で1883年に
学位を得ている。直ぐに、パパメイヨーの下にもどり、
医療活動を再開しています。
なお1865年生まれの次男チャーリー
Charles Horace Mayoも1888年にノースウエスタン大学
Northwestern Universityの医学校を卒業した後、
そのままロチェスターに戻っています。
兄弟二人とも、卒後の研修や臨床など、医学校に入学する前、
10代の小さい頃から、沢山の臨床を症例を父親とともに見ており
かつ沢山の臨床の手伝いをしたので、そういう医師としての
初期訓練は必要としなかったようです。
医師資格をとる為に入学したようなものでしょう。
"We Came Along in Medicine Like Boys on a Farm"と
いうように、父親が展開する臨床医学の場が
遊び場のような環境だったのです。
またパパメイヨーの側で、色々手伝ってきた母親が
医学の知識を非常に豊富に身につけており、
疾患や治療についても的確な判断ができたようでした。
弟Dr. Charlieは後年に"Mother was a real good doctor herself."と
母親を高く評価しています。幼少期から兄弟は馬の世話や
農園の作業などをしつつ、一方では医師の卵として
鍛えられたのでしょう。地方の医学関係の集会、研究会に、
パパメイヨーは、このちびっ子達を連れ歩いたようです。
権威有る医学教育を受けることの無かった
苦労人パパメイヨ(メイヨー夫妻)の、医学教育者としての
面目躍如たるものがあります。
メイヨクリニックでは1892年にステッチフィールド医師
Dr. Stinchfieldの参加を得て、彼が経営委員になった後、
パパメイヨーは第一線より退いています。
そして1919年には公益法人not-for-profit化しています。
所でパパメイヨーはその後も元気で92才の長寿を全うしました。
この間、1883年5月に彼の有名な大竜巻事件がこの地で起きて、
セントメリー修道会との深い繋がりが培われることになり、
その後の発展の礎になった重要な出来事でした。
ところで、この時は負傷者、重症者は、町のダンスホール
に収容されて、人手不足を補うためか、修道会の修道女が
応援にかり出されました。沢山の患者さんの看護を担当したようです。
(前のメイヨクリニックⅤで述べた修道会の建物を提供したとの
記述は間違っていました)
1889年開設の27床の病院、3階建で手術室は2Fにあり、
修道女が病院の看護スタッフとして訓練を受け、入院患者に献身的な
看護を提供し、またてきぱきと手術の手助けも出来るように
なっていたようです。
この病院で最初の外科手術は次男チャーリーが手術術者として行っています。
次男チャーリー達は、手術や手術室の無菌環境を重要視して、
初期の外科手術の成功の要因になったようです。
次男は1908年まで、眼科治療の責任者を務め、
また甲状腺、神経系の手術を専門にしていました。
パパメイヨーに麻酔士として訓練・教育された看護婦さんが
次男チャールズの奥さんになっています。
(画像資料はWikioedia、MayoClinicのHPより転載)