心と体

2009年11月 9日 (月)

心身症とADの治療についての一考

    最近に思うのは、鬱病、心の風邪とか言って、
  簡単に、向精神薬に頼る風潮がありますが、この手の
  薬は、心のステロイドと考えたくなります。
   というのは、ダラダラと服用している内に、
  その深みに入り込む様相はS剤長期連用に
  似ています。
  
   結局より強めの効果の出るモノへと移行していき、
  最終的には、極端に言えば、薬漬けの癈人にも近い、人格崩壊を来す
  状態は、まさにステロイド剤連用により、皮膚が常態を失い、狂った
  状態になるケースと似たようなものです。
  
   とにかく、その手の薬を使うばあい、安直な使い方はしない、
  不必要なら、無しで頑張ってみるとか、
  その虜にならぬ工夫やら、注意が必要と思っています。
  
   難治性、慢性疾患を多々みるにつけ、そういう実感を
  得ています。効く薬ほど、十二分の注意が必要と思います。
  所詮ケミカルですから、副作用が生じるのは自明の理です。
  
   ところで世間全体に本来の健康創りを忘れているかと
  思う次第です。古いながら、良いモノがゴマンとあります。

   慢性、難治性疾患の方の場合は、 マスコミ健康術は
  やめた方が良いかと思います。とくにTVは要注意です。
   当世風のモノでは、下手すると慢性疾患がドンドン
  悪化していきますよ。
  

2009年11月 7日 (土)

股関節の手術は 

東京厚生年金病院 整形外科

http://www.tkn-hosp.gr.jp/

 先日、紹介した81歳の女性の
変形性股関節症の方、本年末に
手術(人工関節置換術)をして
くれることになりました。

 ここのI部長(副院長)が名古屋時代

http://nagoya-ekisaikaihosp.jp/kyumei1.html

掖済会病院整形外科
大腿骨のキュンチャー髄内丁手術の
国内の草分けとなっていた頃)の
ちょっと先輩になります。

 厚生年金病院の整形外科はスポーツなど
多岐にわたる分野で、
質の高い診療・治療をやっています。
    術後のリハビリ用のプールを
持っているのも特記されることです。

参照<私のER体験 その2>

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_3da1.html

2009年10月31日 (土)

97才 握力20

  やく半年毎に診ている、壮健なS氏。97歳で

 両方ともに20前後の握力を保持していました。

 2年前は、右23,左20で、非常に元気で、同窓会で

 麻雀をやって遊んで帰ってくる体力を

 有していました。最近はたまに同窓会に出るとか

 ということでした。

 『70歳で死んでもよいと思っていたら、80歳になり、

もう良いと思っていたら90歳になり、こうなったら

百歳を目指す』というような事でした。

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page032.html

2009年10月22日 (木)

健康詐欺

久しぶりに、神奈川のHさん70才後半の
女性から電話連絡有り。最近、来診連絡がないので、
どうしているかと心配していたら、元気になりたい
一心で健康器具販売のグループにひっかかり、
大枚50万円を払わされて、健康になるという(空)
約束のもと、電気の機具を毎日使用して、元気に
なる日を夢見ていた様子。騙されたと分かってきても、
その機具を毎日、言われたように使って、
元気になってみせると、悔しさを誤魔化して
いる様子です。外にも出ないで、身体を健康的に
動かさないで元気になれる訳はないのですが。
高齢の方は、、振り込め詐欺同様、こういう
手合いに簡単に引っかかってしまうようです。
   アトピー性皮膚炎やら難治性の癌などの方も
こういう手合いの餌食になり易いようです。

2009年10月 2日 (金)

ある待合の風景

         

  矍鑠とした、95才(男性)、96才(女性)にかかると
  80才などの方は子供のようもので、痛いからなどと言って、
 悪い歩き方などしていると、容赦なく
  「姿勢が悪い、腰を伸ばせ」などの檄がとんで、
  先輩に負けないよう、 頑張らざるを得ません。
         
     人生90、100才時代を迎えることを
   考えると、こういう逞しい90才代の方々は
  人類社会の掛け替えのない宝ものと思います。

2009年9月20日 (日)

人中穴  ④

  中枢系の興奮の抑制効果を期待できるので、
 鎮静作用を狙って鼻の下に刺入していますが、
 また血圧降下の作用もありそうです。

  最近、70台半ばのご婦人に置鍼したのは
 良いのですが、その後で、帰宅後に
 アレルギー様の反応が生じたのか、
 刺入部に近い上口唇の一部に浮腫が
 出たケースを経験しました。次の来診時にも
 腫れぽったい状態が続いていました。
   

   調子に乗るとヘマをしてしまいます。

人中穴  ③ (20.06.02)

 人中穴  ③ 

 最近、著効例を楽しんでいます。

久々の人中穴 (20.05.31)

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_f3d0.html

人中 (特効穴) (21.02.07)

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d2e4.html

2009年9月16日 (水)

ひさびさの急性腹症

    夜診締め切り時間帯の問い合わせがあり、漢方主体と説明して、
予約をお願いしようとしたのですが、
サービス心で、一見のPTとして受けました。
しかしながら、20:00より10分も遅れて 到来。

 投薬の必要があり、馴染みの薬局にお願いし、スタンバイして
貰っていました。結局、薬局は半過ぎまで開けていてくれました。
   
  腹部超音波検査(US)で見事な胆石が少なくとも5つは確認されました。
腹証は、心下痞硬で、大柴胡湯が良いのでしょうが、
四逆散と芍薬甘草湯の兼方とし、西洋薬を3種類入れました。 

   
    膵臓や胃・十二指腸の病変も否定できず、早めに近医にかかるように
ムンテラをしました。 埼玉県の方で、たまたま、出張かなにかで
都内に来ていたようです。可哀想に 仕事で多忙を極めている様子でした。

 29才の男性。
   

2009年9月 1日 (火)

片麻痺を短期に克服して  I 先輩

  (片麻痺を上手く回避して)

 丸の内オアゾ館の4Fにて、久しぶりの高校時代の

I先輩とあう機会を持ちました。学部は違いましたが、大学も

 先輩になる方です。実は、このI先生、3年前に脳出血

 起こされたということでした。しかし、
 
 順調に機能を回復されて、現在では杖もつかずに、

 PCも自由自在に使いこなして、充実した仕事、生活の日々を

 送られており、今回は東京の和漢薬の学会の為

 上京されて、十数年ぶりにお会いしました。
 
  ドイツ留学時代(I先生は、豪州のキャンベラ大学大学院に
 
 留学の後、そのままドイツに留学されています)の同窓、

 H薬科大学の教授も同席され、短い時間ながら、

 有意義な時を過ごしました。

  前の冬には、スキーにも行けるほどに、身体機能は回復させており、

同時に、若い時の仕事が最近注目されてきて、その関係の

英文の論文なども書いている様子で、知的な面でも衰えを

見せていない状態でした。

  発症直前まで、通っていたフィットネスの仲間にも

 支えられて、短期の入院、外来通院治療のあと、

 発症後、数ヶ月で以て、仕事に復帰したとのことでした。

2009年8月20日 (木)

ロコモティブ・シンドローム(locomotive syndrome) 

ロコモティブ・シンドローム(locomotive syndrome) 
 
    運動器の若さ維持の必要性!40代から準備を!
   
  ロコモティブ・シンドロームとは、運動器の障害により、
 要介護になるリスクが高い身体状況を指します。
 認知症、脳卒中など中枢神経系の障害による、
 要介護となる以外に、運動器の障害・疾患(転倒、骨折、
  関節・脊柱疾患)から、要介護になる
 リスクが注目されて、この表現がなされており、その対策が
 必要とされています。 
   先ずは「立つ・歩く・転ばない」の3つの動作を
  安心し、自信を持って反復できる生活を送る
  必要性があります。
   その為には、雨の日も、風の日も外に出るという行為が
  大切と思います。またできるだけ杖に頼らない歩きを維持する。

  中年ですと、ロコトレというか、メタボ対策を含めて、
 各種の身体活動の訓練を行える施設に通うことが最良と思います。

        所でロコチェックとして如何の5項目があります。
 ① 片脚立ちで靴下がはけない。
 ② 家の中でつまずいたり、滑ったりする。
 ③ 15分くらいの連続歩行ができない。
 ④ 横断歩道を青信号で渡りきれない。
 ⑤ 階段を上るのに手すりが必要である。

       一つでも該当項目があれば、  ロコモを心配しなければ
      なりません。 寝たっきり老人候補という事です。
      早急にロコモ対策が必要とされます。

  (参考 読売新聞 2009.03.26 広告)

2009年8月 6日 (木)

皺取り

 

  いぼ取りは成功しましたが、
 皺取りはどうすればよいでしょう?

  一年半にわたる身体障害の状態を克服され
  お出かけを愉しんでいる87才の患者さんから、
  その種の希望が出ております。シミ取りは
  10年前にお金をかけてやったという話でした。
   顔面に深く刻まれた皺を如何に
  東洋医学的に処理するか、難題です。

 

お灸

  80才過ぎのご婦人、鼻の下に何か
  できたと相談がありました。老人性の疣贅の
    初期のもののようで、普通の皮膚科では
    レーザーで焼いたり、冷凍窒素などで処理したり
    するところでしょうが、糸状灸をしてあげました。
    永年の付き合いで即座にOKで、
     この処置になりました。
           
      普通は顔面にはお灸はしません。
     数日後には、火傷ようの平たい水疱を形成して
    いましたが、2週間もしたら、きれいな
     肌に置き換わりました。

       美容(老人美容)にも良さそうですね。

2009年7月27日 (月)

2週間の循環器病棟の入院生活に耐えて

 80才前半のKさん女性。

 この7月に信濃町のK大学病院で

 心房細動による心不全で約2週間

 入院されて、元気に退院して来られました。

 その報告で来診があり、安静を強いられて

 日頃の数千回のトレーニングは現在

 お休み中とのことでした。

  入院中は身体能力が非常に高いので、

 あまり、病院看護のお世話になれなかったのが

 ちょっぴり不満であった様子です。

  足腰を弱らせず無事に帰宅できたのは

 日頃の精進の賜物と思います。

2009年7月24日 (金)

90才代を華に!

   本日、90才の女性に体力・筋力アップを指導、
 
 いつも60台の娘さんがご一緒の方です。
 
 ご本人は、やる気満々の風情で、素直にこちらの指導を
 
 受けてくれます。
 
  
  100才を射程に入れてらっしゃるのでしょうか?
 
   今後が楽しみです。

      しかし、前から診ている70台半ばの男性、

  左下肢の痺れ感を訴えるので、例の脚挙げを

  やってもらったら、20~30回で音を上げました。

  高令女性陣に比べて男性陣のだらしなさを

  不甲斐なく思う次第です。

2009年7月21日 (火)

サネブトナツメのタネに?

 酸棗仁、クロウメノドキ科サネブトナツメのタネで、
睡眠調整機能がありますが、これを含む方剤、酸棗仁湯が
昔から有名で、現在エキス剤としてよく使われています。
     
 で、これを処方された、30才台半ばの某TV局の
方、携帯電話で調べたら、ステロイドが含まれていると
一騒ぎでした。
 たしかに、彼の携帯電話の画面上にその成分として、
ステロイドの文字が表示されていました。
彼の周囲には、ステロイド(多分、外用剤)で
身体をサンザンに傷めている同僚が多いので、
この「成分表示」に恐れをなして、服用ができないと
宣ってらっしゃいました。
しかし、本来、植物の種子にステロイドが含まれるという
その説明が可笑しいのですが、こちらが説得しても、
納得できない様子でした。まぁ、説明・紹介の仕方が
麗々しく、ちょっと怪しげな感じのサイトでした。
 情報過多の時代になると、トンデモ情報を流し、
素人を誑かせるサイトがあり困ったものですね。
 

 30才台半ばで、子供さんもある、お父さんが
こんなことで狼狽えていては仕様無しです。
当節の世相を反映しているのでしょうか?

2009年7月19日 (日)

海の向こうの113才

Centenarian Spotlight

http://www.longlifeclub.com/article.php?aid=1054&PHPSESSID=b76d7a2af9ceaa083f1e61b49762ca5d

ヴァージニァ・コールさん、113才、

95才の娘さん、81才の孫娘と、同室で生活して

お互いに助け合いながら生活しているとの事です。

カナダ人の最高齢者115才のジュリー・ウィンフレッド

 バートランドさんより、2才だけ年下です。.

Centenarian Spotlight

Chicago Women Celebrates Her 113th Birthday

Virginia Hall lives with her 95 year old daughter and 81 year old granddaugher.

Virginia Call recently celebrated her 113th birthday with her two roommates: one is her 95 year old daughter and the other her 81 year old grandson.

They live in Chicago and care for each other with the assistance of a live-in homemaker.

Virginia was born to sharecroppers in Mississippi on January 4, 1894. Her parents were born into slavery.

When Call was born in 1894, Grover Cleveland was President, the World's Columbian Exposition had recently ended in Jackson and Washington parks, and Pullman rail car workers were soon to go on strike.

Her daughter, Isabella, born in 1911, was her only child. If Call’s age can be verified she is only two years younger than the current oldest living woman, Julie Winnefred Bertrand of Canada, who is 115.

 日本など、現在90才台の高令者が続々と増えており、100才老人が

普通に、ご近所に見られる時代がすぐに来そうです。

   AntiAging Links

 http://homepage2.nifty.com/blacjack/page219.html

2009年7月17日 (金)

メイヨークリニック ⅩⅠ ⑤

    メイヨークリニック ⅩⅠ ⑤

<メイヨークリニック ⅩⅠ ④>

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-9edb.html

 the Walter Reed General Hospital
 ところでWilliam Henry Welch (1850-1934)
<メイヨークリニック ⅩⅠ ④ >の弟子筋に
あたる、陸軍軍医 Walter Reed と、その名前を冠した
陸軍総合病院について紹介します。
メイヨークリニックとは関係なくなりましたが、
おつきあいください。

 ワシントン DC, Washington,DCにある米国陸軍の
総合病院が彼の名を冠した有名な病院です。
 ”A great medical establishment was baptized the Walter Reed
 General Hospital (Washington, D.C) in his honor”.
 病理学者・細菌学者であったReedは、とくに黄熱病での業績、
蚊がその病原菌の媒介昆虫となる事を証明するのに大いに
貢献したことで評価されています。

 このWatler Reed General Hospital米国陸軍総合病院に、
1990年前後に、訪問する機会を持ちました。当時、政府派遣で、
ワシントン DCに赴任していた旧友のT君の所を訪問した時に、
彼の伝手で大使館経由で紹介してもらえました。
 事前に、非常に欲深い希望を先方に伝えており、その結果、
PCの医学面での利用状況(特に管理部門)、ICU, 整形外科など、
数カ所を数時間ながら集中的に、濃厚な見学をさせて貰いました。
 また見学終了後には、わざわざ副院長が時間を割いてくれて
同行のT君など見えて、面談する機会まで持てました。
次の日には、病院正面で、この先生が大統領夫人とご一緒の
画像がTVのニュ-スで流されていました。VIP待遇で、
病院訪問をさせて貰ったようでした。
 また、当然でしょうが、広報部の若いスタッフが、
つきっきりで回ってくれて非常に感激しました。
 その前に メイヨー・クリニックで、やはり本部、クリニックの
メインの建物を広報担当者が見学に同伴してくれたことを
思い出します。  こういう米国の友好的でかつオープンな
姿勢は参考にしたいものです。
 
 さてそのリードReedは at the University of Virginiaの医学部門で
 18才にして約9ヶ月のコースで最初のMDの資格をとり、その後、
ニュウヨークのBellevue Medical College, New York, に再入学して
2つ目の a second medical degree 、1年の医学教育で獲得しています。
 この点は、パパ・メイヨのケースと似たり寄ったりで、当時の米国での
医師養成の実態・医学教育の様子を垣間見ることが出来ます。
( メイヨー・クリニック Ⅶ(2008.09.16) 参照)

 彼はその後、諸般の事情で1875年に陸軍の軍医(准尉)に任官して、
中西部の陸軍の砦(原住民の集団蜂起対策)に派遣されます。

 大尉になった時、1881年、 Fort McHenry に移動し、
その時にジョーンズホプキンスで生理学を修めています。
 その後、1890年にofficer recruiterの職務で、ボルチモアに戻り、
ウェルチの指導下に、細菌学、病理学を修めています。

  Reedは1893年に、新設の米国陸軍の医学校の病理学、顕微鏡学の
教授および図書館の館長の職についています。
  キューバ駐屯の米軍内(米西戦争 1898年勃発 スペイン敗北)での
黄熱病の発生にともない、 ボルチモアのW.H. Welchの指揮下に、
Reed やJames Carroll、蚊の実験のためにJesse William Lazear、
病理学面ではAristides Agramonte と 
その難問解決にチームが組まれています。

  Reed達は、人体実験などで蚊が媒介して、黄熱病が
伝染することを証明して、従来から言われていた、
寝具類による伝搬説を完全に否定しました。
 
  ところで、1881年には、the Cuban physician and epidemiologist、
Carlos Juan Finlayが 昆虫が媒介することを提唱しており、
Reed達の先駆けをなす仕事をなしています。またSir Ronald Ross に
よっても、蚊が媒介する事は指摘されておりました。 
Reed達はその指摘を実証したということのようです。
 
 黄熱病の取り組み中に、同僚のLazear は黄熱病に罹患して病死しています。
ちなみに、1928年に、野口英世もアフリカ、ガーナのアクラで、51才の
 命を黄熱病で落としています。

   Reed自身は 1902年に虫垂炎の手術が原因で他界しています。

200pxwalterreed

http://en.wikipedia.org/wiki/Yellow_fever#Carlos_Finlay_and_Walter_Reed
  Carlos Finlay and Walter Reed

An entomologist demonstrates the attraction of female yellow fever
mosquitoes to his hand in an olfactometer.
Adults of the yellow fever mosquito Aedes aegypti.
The male on the left, females on the right. Only the female mosquito bites
and can transmit the disease.Carlos Finlay, a Cuban doctor and scientist,
first proposed proofs in 1881 that yellow fever is transmitted
by mosquitoes rather than direct human contact.[27]
Walter Reed, M.D., (1851–1902) was an American Army surgeon
who led a team that confirmed Finlay's theory. This risky but
fruitful research work was done with human volunteers, including
some of the medical personnel, such as Clara Maass and Walter Reed
Medal winner surgeon Jesse William Lazear, who allowed themselves
to be deliberately infected and died of the virus.[28] Although
Dr. Reed received much of the credit in history books for "beating"
yellow fever, Reed himself credited Dr. Finlay with the discovery
of the yellow fever vector, and thus how it might be controlled.
Dr. Reed often cited Finlay's papers in his own articles and
gave him credit for the discovery, even in his personal
correspondence.[29] The acceptance of Finlay's work was
one of the most important and far-reaching effects of the Walter
Reed Commission of 1900.[30] Applying methods first suggested
by Finlay, the elimination of yellow fever from Cuba was completed,
as well as the completion of the Panama Canal. Lamentably,
almost 20 years had passed before Reed and his Board began
their efforts, twenty years during which most of the scientific community
ignored Finlay's theory of mosquito transmission.

Finlay and Reed's work was put to the test for the first time
in the United States when a yellow fever epidemic struck
New Orleans in 1905, although efforts had been successful in Havana
since 1901. A conference organized in New Orleans in 1905 by
Dr. A. L. Metz resulted in President Roosevelt directing the United
States' Government to take control of the matter.[31] The United States
Public Health Service put into effect a mosquito control campaign,[32]
this included, fumigating houses, inspecting cisterns for drinking
water, and treating pools of standing water with kerosene. The result was
that the death toll from the epidemic was much lower than that from
previous yellow fever epidemics, and that there has not been a major
outbreak of the disease in the United States since. Although no cure has
yet been discovered, an effective vaccine has been developed, which
can prevent and help people recover from the disease.Yellow fever
can turn into a deadly disease if it is not treated properly.

yellow fever
mosquitoes  <Fromr Wikipedia>

Aedes_aegypti_eagoeldi_1905

2009年6月12日 (金)

心療内科とサプルメント

心療内科とサプルメント

 初老期の女性が、心身の健康の回復の
ためにと、上記の手立てを考えていたので、
ストップをかけました、
 健康創りが、錠剤類やお金など、労せずして
獲得できる年令では無いということが
理解できていない様子でした。
  未だにミーハー的な生活感の有閑マダム然として、
「頑張るとか、辛抱など出来ない」と
公言されている様な方です。
 で、なにか良い手立てはないか考えついた
のが「サプルメントと心療内科治療」という
事です。
 
 初老期の、いい年をして、安直に健康体に
なれると考える、また、なろうとするその姿勢が
まったく幼稚、出鱈で、これでは本当の健康など
獲得できる訳はありません。
 
 精神安定剤など、身体創りの邪魔をする
ものと信じています。
 サプルにいたっては言語道断!!

 健康マスコミ主導の安易な健康創りに
惑わされてはいけません

  とにかく、精神的な部分を
錬磨するしかないと思います。

 多くの、見事に崩れていく高令者を
看てきてた結論は、それを防ぐには、
気力、精神力創りがポイントになると
思っています。

幸いに満ちあふれた老後を生きるには。

初老期の脊髄神経惚け

2009年6月 5日 (金)

Les bienfaits de l'exercice 身体トレーニングの効能・重要性 

Les bienfaits de l'exercice à 50 ans

Les hommes qui entreprennent un programme
d’entraînement physique à 50 ans gagnent deux années de plus.
Selon des chercheurs suédois de l’Université d’Uppsala,
les hommes de 50 ans qui décident de s’entraîner gagnent 2,3 années
de vie supplémentaires.
Le Dr Karl Michaëlsson a comparé le degré d’activité physique
au poids, à la tension artérielle et au taux de cholestérol
chez 2 205 hommes âgés de 50 ans au début des travaux.
Au fil des années, son équipe de scientifiques a pris
les mêmes mesures chez les sujets âgés de 60, 70, 77 et 82 ans.

   http://sympatico.msn.ca/

2009年6月 4日 (木)

初老期の脊髄神経惚け

初老期の脊髄神経惚け

     痺れウンヌンで、紹介のあった60才前後の女性。
  どうも、脊髄神経惚けと思っていたら、案の定、
  数週間の生活改善でかなりの回復がみられました。
  (漢方薬も処方しておきましたが)
   脳梗塞では?、などと近くの内科医の診断で
脳外科を受診し、MRIまで受けました。
検査結果は異常なし。ご本人も又その積もりで
入院、手術などと考えていた様子でした。
   
 今週、ご本人の語るには、会社を辞めてから、
韓流ドラマのDVDの視聴に浸りきっていた
との事でした。一日、8時間も
ビデオの画面に釘付けになっていたことも
あったとの事でした。前屈みで、伸筋を
動かすことのない、悪い呼吸の姿勢で
日々過ごしていた為こういう事になったようです。
   
   しかし、この手の身体不調の方が非常に
増えているようです。
   
  蒼空、星空を眺めながら身体を動かしましょう

2009年6月 2日 (火)

人中穴  ③

   頚椎症、頸部、項部、上肢のトラブルに
 これが有効です。
 たぶん、脊髄系の異常興奮を抑制できるのでしょう。
 

  最近、著効例を楽しんでいます。

久々の人中穴 (20.05.31)

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_f3d0.html

人中 (特効穴) (21.02.07)

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d2e4.html

2009年5月31日 (日)

風邪・インフルエンザ対策

http://www32.ocn.ne.jp/~holisdoc_uzu/

鳥谷部先生より頂いた対策法です。

ご紹介しておきます。

健康と「ゆるみ」インフルエンザ対策

◎予防法 積極的な養生をお勧めします。 

緊張は「陰気」を強め「陰陽」のバランスを
壊して病気をもたらします。心身のすべて
弛めてリラックスしましょう。

●充分な睡眠   
  睡眠中に夜の空気を呼吸することで、
  暗い中で昼間の緊張が解けます。
  又眠りにつく前に深く呼気を吐く
  つもりで呼吸すると安らかに眠りにつけます。睡眠によるユルメ~

  リラックスは重要です。
●呼気のユルメ  
  皮膚呼吸も汗も皮膚の緩みのとき成されます。   
 全部吐き切ることで全身がユルミ~リラックスできます。
  充分な呼気でユルムと排尿・排便が活発になり、   
  気分良くリラックスします。生理不順も治ります。
 
●よく噛む
    噛むと食べ物が軟かになり(ユルミ)唾液など
   消化液がよく出て混じります。

●少し食べる   
    多く食べると胃腸に負担が掛かり、
    脂肪などの毒素を分解する肝臓が脂肪肝になります。
●火を通す    
    動物のナマは(貝など)生きており消化されまいと
    胃の中で抵抗します。貝の気持ちを考えましょう。

●アイスの三毒    
    冷たいと胃が緊張し消化不良に
        食道と胃が緊張し疲れて食欲が減る 
        体温を上げようとして血液が集まり「胃酸」が
        多く出る⇛胃潰瘍の原因

●心を緊張させる感情には怒り・嘆き・妬み・
    イライラ利己主義・増長・蔑視などの陰で、
    悪業をつみ肉体を緊張させます。                
●心を「ゆるめる」感情・おこないには笑い・
   優しさ・手助け看病・介護 など陽気を貯めます。   
◎手当ての方法
●  便秘をしない。 
  食事の時刻を規則的にする。便秘したら春菊・ヨモギを
  食べる。ドクダミを干して煎じて飲む。
●  軽い風邪のときに。 
足湯~肢のクルブシまでをマッカになるまで熱い湯につける。

 溝の口ハリ灸院

2009年5月27日 (水)

久々の英語診療

  久々に電話で英語圏の方から診療希望があり受けました。

 ニュージーランド出身の30才前の女性で、

  英語のインストラクターとして、在日約5年との

 事でした。「胸前が痛むとか、血圧が心配」とかですが、

 まだ若いですし、ストレスはあるにしても食欲とか排便とか問題なく、

 どうも生活スタイル、食事などに問題があると読みました。

  案の定、姿勢をチェックすると、頸が前傾気味で、

 暇な時は読書三昧の日々とのこと、マッサージに通って

 いるようなことを言ってました。

 歩きは2時間くらいのような事を言っていましたが、

 全身の運動ケアーが必要と思われ、水泳を

 薦めました。それから、食事は魚中心で、鳥などの

 白い肉など含め、すべて肉を止めるように助言して、

 最後に良い呼吸の必要性を教えて、その為には

 読書の中止と、TVなども観ないように指示して、

 常に視線を上げるような姿勢創りの

 大切さ、必要性を教授しておきました。

 しかし、英語の言い回しが、以前ほど滑らかに

 出ないで、ちょっと苦労でした。まぁ、

 ご本人は納得されたようでした。

 初診料、自費3000円、もっと取れば良かったか?

 最後に、Andrew Weil(和食を高く評価して肉を食べない)、のことも

教えておきました。

(Dr Andrew Weil)

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page352.html

(久しぶりの英国人患者さん) 

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_2177.html

2009年5月25日 (月)

気剤の効力 ③

  気剤の効力 ③

  半夏厚朴湯1包で、こうも効くのか?

      77、8才の男性で、ご自分の手術やら、痴呆のおねぇさんの
  世話などで、鬱っぽくなっていた方ですが、
    やはり、半夏厚朴湯一日1包の追加処方で、
    元気モリモリに、兎に角、気力を見事に回復されています。
   
    デパスよりもお薦めですね。

2009年5月24日 (日)

東京医大10階東 甲状腺外科病棟

 
  本日夕方、手術後のMさんの様子を診にいきました。
 左甲状腺腫瘤、全身麻酔手術、この22日の手術で、
 24日の今日、術後2日目でしたが、非常に元気そうでした。
 お子さんをご両親に委ねての入院で、色々と大変な
 状況下での、手術治療でしたが、首尾良く
 完了です。
  手術は甲状腺外科の筒井准教授の執刀で、
 二十数CCの出血で終えたとのことでした。
  
  傷口は約6cm、私も事前にUSでかなりの大きさを
 確認しており、部位も縦隔に一部ひっかるような状態で
 下手すると大出血など、心配していましたが、
 杞憂でした。

  因みに、この医大には後輩の耳鼻科のS教授や
 今は退職された救急外科のK教授など、
 知己が多く、しばしば訪問していました。
    
    東京ヒルトンの隣に位置し、丸ノ内線の西新宿駅の
 出入り口が病院の真ん前にあり、地の利の良いところに
   あります。

2009年5月21日 (木)

90才過ぎて身体機能を上げる。

 数年前から、定期的に診ている91才を超されている

ご婦人です。

 最近の診察時、お話をしていたら、ご自宅の庭で

何となく走ってみたら、出来たとの事でした。

これからが楽しみです。

数年前、2月の寒い折に、とある梅園で、200段の石段上りを

やり遂げた方です。最近もファイト満々の様子です。

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-ba31.html

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-b3a2.html

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_f66e.html

2009年5月19日 (火)

老人痴呆の配偶者とともに ② 大徘徊

 http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-6cc7.html

  大徘徊
  
  先日の事、このご主人が、出奔というか、突然に
 出かけてしまって、行方不明になる事件がありました。
  家族中で大騒ぎとなり、ご子息やら、親族などが集まり、
 夜中まで、あちらこちら、警察は旧より、最寄りの駅に
 問い合わせたり、最悪の事を考えて川を覘いたりと、
 半日近く捜索活動を行い、大変だった様です。

  最終的に、夜中の1,2時頃に、かなり遠方の警察(交番)に
 保護されて、元気で自宅に戻って来たとの事です。
  ところで、ご家族、親族一同が集まっている様子に、
 ご当人は、別に驚きもせず、素知らぬ顔で、、奥さんに
 風呂に入れて貰った後、スヤスヤと眠りについた由。
  但し、鏡に映る友人、ご自分の姿には挨拶していたとの
 事です。
  

   まぁ、飲まず喰わずで、半日も出歩いたとは、
 感心したものです。狂気というか、痴呆の凄さというか、
 人の持つ潜在能力の素晴らしさでしょうか?   
  

   最近でも、70才前後の女性で、都内を大徘徊して、
 或る施設から、数十キロ離れたところ大森近辺で保護された話を
 聞きました。しかし、ご両者ともに怪我することもなく、
 大したものです。
   
    ところで、ご主人の方、その後は、一人でのお出かけは
 ようしない様子で、従来通りの 奥さんに連れられての
 外出の様です。

2009年5月15日 (金)

気剤の効力 ②

竜骨 Fossilia Ossis Mastodi
     

  中薬学で重鎮安神薬とされる、哺乳類の
  化石がベースの生薬ですが、うまく使うと若い人のストレス
  過剰状態に良いですね。

  (味 甘・渋  性 平)

2009年5月13日 (水)

気剤の効力

半夏厚朴湯1包で、こうも効くのか?

最近のヒット症例ですが、60歳前後の

初老期に入りかけた、ご婦人の慢性の

愁訴に、直接的には関係しない、16番を

1日1包で、見事な効果が出ました。

こちらが狐につままれたかと思うほどの

薬効がありました。連続してお二人、

快癒に近い状態に持ち込めたので

まぁ良かった、良かった、です。

2009年5月 8日 (金)

80才前で元気倍増

 80才前の方ですが、見事に

骨量を正常値に戻した方がいます。

秘結はプール通いでした。

週3回の頻度で、 その都度1200m位は泳ぐとの

ことでした。3年前から、前向きの

生き方にスウィッチされ、見事に成果を

出されています。各種の泳ぎをこなせるように

なったと話されています。

 最近、行きつけのプールで、70才は軽く

超えたご婦人が個人トレーニングを受けて

いるのを見かけました。バタフライの

練習をされているのに驚きました。かなりの

線までいってました。兎に角、ある程度、様になった

バタフライでした。

2009年5月 2日 (土)

3割強化

  素晴らしい85才を逞しく迎える(2009.04.28)

    見事な回復振りです。とにかく身のこなしが抜群に
 良くなっています。水の中、400m歩くとヘトヘトとの事です。
 しかし、ズリ脚歩きから大股歩きができるようになったと
 いうことです(但し両手でプールサイドにしがみついて
 です)。
 
  受診後、帰りは娘さんが迎えにくるということですが、
 勝手に一人で歩いて帰るとの言で、体力に併行して
 気力も見事に改善されています。
 
  3割強化』を助言しました。
 ご家族は「無りをするな」とおっしゃるようですが、
 私は{無理をしろ!無理をしろ!」です。

2009年4月28日 (火)

素晴らしい85才を逞しく迎える

 
 5月に85才を迎える方です。
この春に別荘地で顛倒、腰痛症で現地で入院し、
約1ヶ月後、動けば激痛が生じる状態ながら
東京に戻られました。
 日頃はお元気で、時々に診ている方で、
15,6年のお付き合いがあります。

 この方、4,5年前には骨盤(腸骨)の
亀裂骨折を生じさせた際に、自宅療養で治したという
豪傑女性です。色白でやせおもてで
楚々とした雰囲気の方ですが、非常に芯の強い所を
持っておられます。ご子息とかお孫さんなど、ご一族に
医学部関係者が多く、亡くなったご主人は、
彼の日野原大先生の後輩にあたります。「お孫さんが
お一人外交官になったと、ご主人の家訓に背いた」と
残念がられ、また多少憤慨されていました。
 

  家訓;「政治家、お役人にはなるな。
             人が変わってしまう」

   

 とにかく、私のモットー、動きながら治すと
いう方針の下、ご本人、遣る気満々の状態で
治療を開始しました。
   
 最近、2週間前から、ついにプール通いを
始められました。当然、娘さんが同伴してです。
入水して、プールサイドに手をついての
水中歩行を積極的にやっておられます。
大体400メートルの歩行運動をやる様です。
ご本人の言では、クタクタに疲れるとの
事でした。
 先週は3回も行った由。身体が冷えることを
危惧されていましたが、温かいシャワーや
ホカロン使用で何とか切り抜けることが
できかと助言しております。確かに、水から
あがった後に臀部に痛み・重みを感じるようです。
 兎に角、非常に疲れるという事ですが、
まぁ疲れる位の運動量をコナしていると
いう事で、非常に理想的な
セルフメイド・パワーリハビリ
展開されていると捉えています。
 
 身体の肩甲帯とか腰・骨盤部の細かい動きが
戻ってきており、当初の罹患部、腰背部の疼痛
の減少、著しいものがあります。
 どの位にまで心身の元気さを取り戻される
非常に愉しみです。

2009年4月17日 (金)

老人痴呆の配偶者とともに

   70才前後の女性ですが、この数年診ている方です。
この方のご主人が数年前から、老年痴呆に罹患、
アルツハイマー病だったと思います。その24時間の
介護の合間を縫って、月に一度来診され、体調とともに、
色々とご主人との生活の具合をお話になります。

 まだ奥さんは何とか、認識できている様子ですが、
ご子息や親族、友人など一切、認知できず、ただ鏡に映る、
ご自分を、友人か、知り合いと思い、お話をしている
との事でした。
 一人で出かけることもママならぬ様子です。
出て行きそうでも自信が無いのか、門から出そうで、
結局、家の中に戻って来てしまう様です。
ただ基本的な食事とか排便は乱れていない様子です。

  普通なら何かあれば、どこか施設に入れたり、
子供さんの応援を頼みそうなのですが、多少の
ご自分の身体の不調には、眼を瞑って、とにかく
ご自分が元気な内は一緒に居てあげたいという
気持ちで日々を過ごされています。

  永年連れ添った、ご夫婦の愛情とはたいしたものです 。

2009年4月13日 (月)

東京大空襲 3月10日

 矍鑠とされている80代後半の方ですが、
とある事から3月10日の東京大空襲の話になり、
その際、小学校に逃げ込んで九死に一生を
得た話を聞きました。
 近くの川に入って火の手を避けようとした人たちは
命を落としたとの事でした。
 といっても周りは火の海で、万が一、避難していた
学校の窓のガラスが割れて、火が構内に入ってきたら、
やはり命を落とした可能性があったようで、
若い人たちが、必死に、バケツでガラス窓に
水をかけて、周囲の火の勢いが収まるまでなんとか
持ち堪えたとのことでした。
   その折に胸に抱いていた、小さい長女さんの命を
守ってあげることができたのですが、終戦後になって
栄養失調かで、亡くされたようです。
 その事が悔やまれているのでしょう、機会あると、
その3、4才で亡くなったお嬢さんの、お墓参りを
したなどと、話に出されます。

その娘がおかぁさんを護ってくれているのでしょうか?

2009年4月11日 (土)

70代半ばからピアノを再開。

 75才の手習い
 
 この数年診ている方ですが、
 先日、ご近所同志であった
ノルウェー人のご家族と神戸で再会して、
彼らが通っていた小学校(前に神戸の大地震でも
崩壊せずに残っていた)に、一緒に出向いたそうです。
 教室で、彼らが小さい頃に覚えた小学校
唱歌を歌う際に、備え付けのピアノで伴奏をする
ことが出来、大いに楽しんだとの事でした。 
  
 幼少時に8年ほどピアノの練習をしていた
とのことで、結婚後は一切鍵盤に触れず、最近
50年のブランクをものともせず、練習を
再開、見事にピアノの腕が戻ったとのことでした。
  
 50年以上前には、戦前風の教え方の先生に
鉛筆などで、頭など小突かれ、たたかれながらの練習で、
いつも泣き泣き家路についていたとの事でした。
 しかし、そのおかげて、75才になっても
専門家に誉められるほどしっかりしたピアノの
基礎をものにしていたとの事でした。

2009年4月 4日 (土)

蹲踞の姿勢 

蹲踞 そんきょ

 古代の大陸の座法の一つ。古代には敷物の上に

平座するのが普通で、危座(正座)箕踞(なげあし)

蹲踞(たてひざ)趺座(あぐらかき)などがあった。

(危座が礼儀にかなった座り方とされていた)

 後世には、貴人の通行の際に、両膝を折って身を屈め、

尻を地に着けないで頭を垂らす敬礼作法を

指すものになった。

 その後、本邦で相撲や剣道の修練法となり、

つま先立ちで深く腰を下ろし、膝を開いて視線を上げ、

上体を反らして静止姿勢を継続するものである。

脚腰の鍛錬に非常に効果があり、トレーニングすれば

十分~数十分行えるようになる。

2009年4月 2日 (木)

21時過ぎから健康管理

      行きつけのヘルスクラブで
    今夕、20~30分ほど、プールでの
    水中運動をコナしました。
    水中ジャンプ、水平脚挙げ歩き、背泳、
    最後に、潜水を入れた蝶々泳ぎで
    フィニッシュです。

   顔なじみで、患者さんでもあるNさんが
  午後9時半ころプールに現れました。先ず動きを
  拝見して、いつもの如くリハビリの為の意見を
  開陳しておきました。

   数年前に発症した両脚の運動神経麻痺から、
  歩行困難に陥り、長く苦しまれていたのですが、
  復活寸前までに辿り着かれています。
   本夕拝見すると、右足の背屈運動が軽微ながら、
  出来るようになられていました。昨年は右足の
  反り返りが全く出来ませんでした。左足は
  一昨年には、反り返りの動きを回復できていました。

   一昨年からは跛行ながらフリーハンドで歩かれています。 
   

   骨盤の動きも更に安定してきたようで、
  水の中での動きを色々と楽しまれています。

   私がお教えした蹲踞の姿勢から、
  運動訓練・セルフリハビリを開始されて
  らっしゃいました。 

        80才前の男性です。

       蹲踞の姿勢 (2009.04.04)

2009年4月 1日 (水)

潰瘍性大腸炎

 プレドニン (PSL) が効かない状態の潰瘍性大腸炎に

難渋していましたが、お灸などでなんとか持ち直してきています。

漢方は附子理中丸が良さそうです。

2009年3月26日 (木)

90才代を健かに生きる。

    自立した94,5才の方と付き合うと、色々とお勉強になります。
 健かに生きる、90才台の方たちから、人生の先達として
 いろいろとお勉強させてもらっています。子供さん達に頼らず、
 独立不羈の精神で老後を生き抜く90代半ばとは凄いものです。
 
  また、治療に対する反応も非常に良いですね。
 原因不明で、片手を腫らして来ても半日で直ってしまいました。

2009年3月22日 (日)

メイヨークリニック ⅩⅠ ④

  <メイヨークリニック  ⅩⅠ ③>
http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5053.html

ちょっとお話に間があきましたが、黎明期の米国医学に
ついてのおしゃべりの続きです。ジョンズ・ホプキンスの
創成期をささえた一人、ドクター・ウェルシュDr Welchを
紹介しましょう。彼は米国全体の現代医学に於ける、
その実践面と教育面、両面で大いなる業績を残した
米国人病理学者(解剖学者・医史研究者 
director of the school of hygiene (1916-26), professor of
the history of medicine (1926-30)etc)です。 
またWill Mayorが非常に敬愛した人物でもあります
 <メイヨークリニック Ⅹ>。
http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-f9a4.html
 日本との繋がりが少々あり、1915年に訪日しています
<これもメイヨークリニック Ⅹで紹介>。
その折の写真が残っていました。
 Tokyosm  

  

また混乱期の中国大陸で、北京に医学院を設立する仕事に
 関与しています。
Procession2   

  

Chinamc

 

 

  現在の北京の協和病院   Peking Union Medical College Hospital、
 協和医科大学 がこれにあたると思います。ここは米国式の
 医学教育(8年の教育)を施行し、全中国から集めた俊英に、
 英語を主とした、水準の高い医学教育創りを行ってきています。
 評判では、ここの学生は、非常に出来るという事でした。
     私が知っていた範囲では、一昔前に北京の在住していた
 外国人は、大体がここにお世話になっていた様です。
医療施設としては、北京の解放軍の病院(共産党の幹部はここで
診療を受けている筈)の方が水準が高いとされているのですが、
民間病院として、ここは取り敢えずは、中国トップのレベルと思います。
 

 さて  ウェルシュ菌(Welch bacillus of gas gangrene)
の名前は彼の名前に由来します。
 当時の米国では、肉牛から感染する食中毒が
 健康、社会問題であったようです。

  さて、彼はエール大学の卒業後(B.A., 1870)、ニュヨークの
College of Physicians and Surgeons  で
MD(1875 )の資格をとっています。ほど無くして、
欧州留学(1876-1878)の途につきました。現在のポーランド、
ブレスラウ Breslau(ドイツ名)のthe University of Breslau
(1811創立、現ビエルート記念ブロツワフ大学)で、病理学者
 Julius Cohnheimの下で学びました。その折りに、
 コッホRobert Koch's historic demonstration of the infectivity of
 Bacillus anthracisの実験を目の当たりにする機会を持ちました。
  
   帰米後は、Bellevue Hospital Medical College、
 New York Cityで病理学と解剖学の教職につき、医学教育に
 実験医学の方法を導入することを試みています。   
  
   新設のジョンズ・ホプキンスで、初代の部長職(dean of
  the medical faculty (1893-98))をつとめ、
 創設期の大事な時期に、その発展の基礎創りを見事に
 成し遂げています。また米国で初めての病理学の教室を
 開設しました。
  前に紹介したDr Osler, Dr Halstedは
 彼の尽力により、同大学のスタッフとして招かれて
 います。
   Welchは、実質、ほとんど一人で医学教育の
 カリキュラムを創りあげたようです。
 この優れた教育カリキュラムは、有能な若手の医家を産みだし
 20世紀以降の米国医学を革命的に進歩させるものでした。
 その内容は、学生に科学的な医学の習得を厳しく要求するもので、
 実験室での学習・作業などを課するものでした。
  また臨床教育としてベッドサイドでの学習とその現場での
 義務(24時間体制のclinical clerkships)を厳しく
 躾けるものでした。

  20世紀初頭、1901年からは the board of
 the Rockefeller Institute for Medical Researchのchairman を
 兼任しています。 彼が指導した、研究者には、Walter Reed 、
 James Carroll、the bacteriologist Simon Flexnerなどが挙げられます。

2009年3月21日 (土)

100才のヘルスクラブ通い

100才のヘルスクラブ通い
  
 Aさん、私の通っているフィットネスに来ている方。
週一回ですが、水泳を楽しみ、併設のサウナ・風呂を
楽しみ、あとビールないしワインを愉しみ、ご帰還の由。
ご本人の語りでは、「江戸っ子で、東大法科の出身とか、」
最近、見かけないので、99才で亡くなられたかと
思っていたら、なお矍鑠の様子のようです。

 しかし、施設の従業員の話では、転ばないようにとか
そのお世話が大変なようです。
 ご本人、タクシーを呼んで一人で来所し、
タクシーの運転手が受付まで連れて来る様です。
そのお出迎えとか、また、帰りには、車を呼んだりと、
痒いところまで手が届くようなサービスをスタッフがしている様です。
 圧巻は衣服の着脱まで、手伝わされているとのことです。

 まぁ、100才を生きるとは大変なことのようです
周りも含めて。

 本日午前に、95才の女性を診ましたが、60才近い
お嫁さんを伴っており、まぁ、ご本人、それに周りも
大変ですね。。。

2009年3月19日 (木)

若返り Ⅳ

Rajeunissement Ⅲ(2009.03.18) 

 A cause de la therapie par l'hormone femininé, il avait augmente
la gresse inutile dans son corps.  Puisque, il a perdu
 sa musculature et perdu son courage.
  Maintenant, il a fortifé le corps . Il m'a dit cela,
il pourrait ameliorer sa statuse honteuse du dos,
  Il a habité proche du fitnessclub, il peut le frequenter
en vingt minutes a pied.

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この方、最近、運動のやり過ぎ(?)で診療に現れました。
 プールでのトレーニングと同時に併設のスタジオで、
若い人に混じって柔軟体操や、俳優の森光子さんバリの
でんぐり返しなど、種々の運動に挑んでいたようです。

 この1月の来診時、さらに元気になりたいことを
仰るので、1回では無く、朝夕2回のプール通いなどを
助言したのですが、その後、過剰あるいは、過激な運動を
したようで、腰の痛みを訴えてこの3月に来診されました。

  1週間くらいで楽になり、とりあえずは水の中での
運動のみとされている様子です。しかし運動しての痛みなら
問題はありません。恐くて嫌なものは運動不足で出る
痛みです。治りが悪く、その苦しみが徐々に増してくる
傾向があります。

 
  さて、最後の診察時にこの方の四肢の筋肉に
 触れたのですが、上膊の筋肉のきりっとした緊張には、
 驚きました。見事な身体作りをされています。

 
 2年ばかり前に、前屈み姿勢のヨタヨタ歩きで、
女性ホルモンによる治療(前立腺癌、その後 睾丸摘出の
追加治療あり)のため、元気が出ない、体力が
低下してきていると訴えていた時を考えると格段の
身体の若返り(体力気力アップ)に成功されていました。

  こういう前向きの85才の方を診ていると、
60才代に入って、運動能力を落とし惨めな身体で
情けない挙措動作になっている人たちに、自信をもって、
的確なアドバイスをしてあげれそうです。

  花の80才代を生きるための準備をやろうと。

   90才になっても杖無しで歩こうと。

Rajeunissement Ⅲ(2009.03.18)

Rejuvenation Ⅱ

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/rejuvenation_080b.html

Rejuvenation

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/rejuvenation.html

2009年3月18日 (水)

Rajeunissement Ⅲ

Rajeunissement

  Le homme áge de Quatre-vingt quatre ans est venu me
consulter,  il y a environ un an.
En aout 2007,  il avait le dos rond et se plaignait de
 la  perte de vitalité.
A ce moment la,  Il m’a dit que il faisait de danse
deux fois une semaine. Je pensais  que  il manquait d’ exercices
physiques  et qu’il avait perdu la force physique et morale.

  Depuis ce temps,  il a commence a faire la notation,
dans une piscine couverte.
  Il a nagé quatre ou cing fois chaque semaine.
Il a perdu environ Six kg. Il a diminué la graisse inutile du corps,

 Â propos, il avait le cancer de la prostate  pour lequel
il suivait un traitemant.
En premier lieu, on lui a donné le traitement par des  l'hormone
femininé , plus tard, on lui a enleve ses testicules,
comme  therapie, il y a troi ou quatre ans.

  A cause de la therapie par l'hormone femininé, il avait augmente
la gresse inutile dans son corps.  Puisque, il a perdu
 sa musculature et perdu son courage.

  Maintenant, il a fortifé le corps . Il m'a dit cela,
il pourrait ameliorer sa statuse honteuse du dos,

  Il a habité proche du fitnessclub, il peut le frequenter
en vingt minutes a pied.

  Je lui ai montre une video d’un home age de quatre vingt seize ans
Qui savait bien marcher
.
   Il a obtenu la motivation pour mieux livre sa prochaine
décennie dans cing ans .

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page388.html

Rejuvenation Ⅱ

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/rejuvenation_080b.html

Rejuvenation

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/rejuvenation.html

2009年3月14日 (土)

人体に由来する生薬

  爪とか髪とか使われますが、極め付きは人中白、
人中黄でしょう。肌の保湿に使用する
ウレパールなど小水から製造している筈です。
細菌対策を万全にしておけば、汚穢とされるものも
薬物・生薬として活用する際、満更でもないようです。
童便といって、小児の小水は古来珍重されたようです。
         
 かなり前になりますが、胃癌の進行を留めるため、
自分のお小水を毎日服用して、成功していたケースを
知っています。

 最近、入手した東医宝鑑には、80才近くなるのに、
非常に若若しい老婦人が居り、若いときに難病治療の
ために、自分の小水を飲み始め、以降、それを
続けた結果、健康とともに若さを維持できたという話がありました。

   

2009年3月 8日 (日)

80才にして学業に挑む。

 
   今年、80才になる方ですが、とある大学の通信教育を
  受講なされており、来年には卒業論文の準備などと
  おっしゃっていました。
       親族で病に倒れた方を、長期に看ていた経緯があり、
  その間、2年ほどは休学されています。最後を看取ったあと、
  かなり心身疲労をためいる筈ですが、その間の病床での
  看護日誌をまとめて、自費出版されています。

   さて、復学されたある日、体育の授業があり、40~50才の
  同級にあたる人たちと、一緒に実技授業をコナしたとのことです。
  見事、90点をもらったということです。
   非常に身体機能が高い方で、股関節やら膝関節の
  不調など、あっという間に直ってしまう方です。
  
    多分、大学院進学も視野に入れていると思います。
    日本を代表する高名な学者さんの妹さんです。

   ちなみに, 先日紹介した、若さ創りの運動訓練中の85才の方、

  運動しすぎで、腰痛を起こしました。しかし、全然、めげていません。

 80歳代を華としたい。(2009.02.24)

2009年3月 5日 (木)

欧州生活で、心身ともにボロボロに。

 この冬に紹介で、40才ちょっと前の方で
ご主人と北イタリアの某都市で生活されている人を診る機会が
ありました。典型的な気血両虚で
十全大補湯No48を主体に漢方処方をしました。
48番が、それなりに効いてきているようです。

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_7f59.html

(お疲れムード)

 なんとか、イタリアに戻るまでに
全快してもらいたいものです。
一時5~10kgほど、落ちた体重は回復したようです。

 いつもの様に呼吸に関して助言しておきました。

 本日、もうお一方、40歳前の女性に、やはり
正しい呼吸をアドバイスしておきました。
その為には良い姿勢と筋力(呼吸筋)アップが
必要です。

  健康を取り戻す基本的な方法を周りが忘失して
いるようです。

2009年3月 4日 (水)

メタボ犬

     最近、肥満体でヨタヨタ歩いている、大型犬を

  よく見かけます。
  
   老婦人が、運動のためにと連れ出して

  散歩させているようです。犬も肥満に陥ると、歩くのが

  大変の様子です。しょっちゅう座り込んでいます。
  
  朝な夕なに、この飼い主さん、ペットの健康管理の為に

  精を出しているようです。

   最近、ドッグフードなど、ペットの健康維持にとTVなどで
   
  盛んにCMが流されていますが、運動もさせずに、居間で
  
  健康維持のためと、栄養価の高いものばかりを取らせていると、

  人間様より酷いメタボになるようです。
  
    走れない犬などがこれから増えてきそうですね。
  
   オシャレな衣装を纏って、アドレナリンの分泌が悪くなっては
  
  番犬として、本来の肉体機能は完全に喪失、まさに愛玩犬。飼い主の
  
  愛情のはけ口、癒しの対称として大事にされて行くのでしょう。
  
  しかし、健康破壊に繋がるような生活には、
 
  気をつけてあげなければ。
  
   雪予想の今晩も、雨合羽を装着させて貰って、幸せそうに(?)

  散歩に連れ出されている、ワンチャンを拝見する機会がありました。

 

2009年2月26日 (木)

倶利伽羅紋紋

倶利伽羅紋紋 クリカラモンモン

   

  久しぶりにクリカラモンモンさんを拝見しました。

  

  両肩を中心に、二の腕の中途で止まる位置まで

刺青が彫り込まれていました。五十才前後。

ケバケバした雰囲気の、煙草スパスパの女性と

連れだって来診。生活保護の方でした。

  

   2,3年前に、やはり50才台で、この手の

 方を拝見しました。序でに小指を一箇所詰めて

いらっしゃいました。しかし、既に堅気に戻っており、

高校生の娘さんの成長を愉しみに、タクシー稼業に

精を出されていました。

  

   お二人ともイカツイ顔に、身体も大きめ、

 胸郭ががっちりした体付きで、多少の肉体への

物理的衝撃には、ビクともしない感じを受けました。

  しかし実態は、お二方とも見事な痛がり屋さん、

 痛みにだらしない状態で、実際、つらいつらいと

懊悩されてました。

  

  タクシー運転手さんは、仕事中でも、痛みが出ると、

 休日診療の外来にすっ飛んできて、痛み止め処置を

 希望。

  

   生活保護さんは、「痛い、痛い」の連発で、

 とくに、睡眠のコントロールが悪い時に、

 痛みが止まらないようで、病院に来る様子でした。

 この人など、迫力ある訴えで、拒否すると、

ぶん殴られそうで、外観は落ち着いたフリをして、

それ相応の医師らしいことを言いいながら、内心は

ハラハラドキドキで、恐る恐ると、局所に、

お注射をして差し上げました。ただし、

痛み止めとしては一番軽めのものを。

 ビタミン剤の局所注射でも良かったかと後悔しています。

  

  まぁ、痛みの複雑さを語る、興味深い事象です。

この人たちの周辺・生活の環境、かっての世界、あるいは

今の世界は、紋紋が語る男気ワールドなのですが。

    

   そういえば世界的に名を成した格闘技家(故人)

ですが、その方の歯の治療を担当していた、知り合いの

歯科医師さんが、すごい痛がり屋だった、とかフト、

 漏らしていました。

2009年2月24日 (火)

80歳代を華としたい。

80才前2008年2月23日 (土)
http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_2abb.html

  大分前から、時々診ている方でが、85歳の男性から
もっと元気になりたいの相談あり。約1年前から、近くのプールに
セッセと通い出して、健康・体力が回復してきているのですが、
まだ物足りない様子で、この要望に対して、
朝、晩 1日2回プールへ行きなさい」と回答しておきました。
机上の診療用の私のノートパソコンを見て、パソコンを
若い人並みに操作したい希望を言われ、持ち歩きに便利な、
東芝のDynabook SSを紹介しておきました。次回の来診までには、
PC操作をコナしてしまいそうな雰囲気でした。

 もうお一方、86歳の男性です。5~6年越しの膝痛を
抱えている方です。この冬から、膝を直したい・元気になり
たいとの希望で、来診されており、姿勢や運動など
指導しながら治療しております。
 ニューギニア戦線の生き残りの方です。その際、
部隊の90%は亡くなった由。運の良い方です。朝早く起き、
自らお店のシャッターを上げて、早朝から、お仕事を
こなしているようです。
小学校卒で、秋田から上京。丁稚奉公からの叩きあげで、
今は社長と呼ばれるほど、手広く商売をされているようです。

 ちなみに、前者の方は公認会計士さんです。

正真正銘の83歳で心肺能力が(2008.10.26)

正真正銘の83歳で Ⅱ(2009.02.14)

80歳前半 (2009.02.21)

2009年2月21日 (土)

80歳前半 

 今週は、何故か80才代前半の方を沢山診る

機会を持ちました。半年、あるいは1年ぶりの方と

皆さんお元気でした。

 とくに、男性で歩行能力やら、運動能力の低下が

著しい方が、奥さんの紹介で、今回3回目の診察で来られて

おり、以前に比べて姿勢が大分良くなってらっしゃいました。

初回には、取りあえず壁を利用しての、健康な

背骨創りの体操を指導しておいたのですが、

根が真面目な方で、毎日結構な量をこなしている

様子でした。長年、書斎スタイルの、運動不足の生活をされて

いたようで、今後必要とされる運動機能の復活までは、

まだまだ時間を要するようです。本日(20日)は、横になっての

脚挙げをご指導して置きました。またテーブルジャンプも。

 後者は結構、出来るので驚きました。今後は数量の

積み重ねと思っています。

 それから、今まで好んで取っていたサプルメント類

運動能力、歩行能力の改善には一切効いていないので、

本日から止めると公言されました。

 こういう類のものは気分転換、気晴らし程度にしないと、

それの摂取で以って、老後を元気で快適に過ごせると

勘違いをされていた様です。

正真正銘の83歳で Ⅱ(2009.02.14)

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page032.html

 

2009年2月14日 (土)

正真正銘の83歳で Ⅱ

83歳、ますます元気に。

正真正銘の83歳で心肺能力が(2008.10.26) 

  
  本日も指の関節の問題で相談を受けたのですが、
 大した問題ではなく、従前同様、トレーニングを
 続行するように進めました。
 
  通っているティップネスTipnessかな、そこの
 スタッフが心配して早めに診察を受けるように
 薦められたようです。
 
  所で、その動きの敏捷性、軽快さ、また身体全体から
 醸し出る雰囲気(オーラ?)など、15才前後は
 若返っていらしゃいます。 別の75歳の患者さんが
 60歳後半と見たくらいでした。
 
  そのフィットネス施設で、女性でコーチ付きの
 マシーントレーニングをやっているのは、
 彼女より下の年令では、現在70歳代の
 女性は皆無、60歳代がぼつぼつとのことでした。
 男性陣では、72,73歳くらいが最高年齢とのことでした。
    
  彼女のみ突出して元気なのです。90歳までは
 娘さんの世話になりたくないと、努力している訳です。

 

2009年2月10日 (火)

寒さ知らず

  麻黄附子細辛湯を服用してもらうと、日頃、病弱な方が

 寒さしらずで、この氷雨の降る日に元気にお出掛け

 したりしているので、吃驚しております。

 この冬に二症例ですが、この手の寒さ知らずの症例を

 経験しております。

  傷寒論からは

 辨少陰病脉證并治第十一

少陰病.始得之.反發熱.脉沈者.麻黄細辛附子湯主之.方一.

麻黄細辛附子湯方

  麻黄二兩.去節.細辛二兩.附子一枚.炮.去皮.破八片.

  ( 東亜医学協会 HPより)

   
柯琴曰、
主里,无表,病有表寒,

今少始受寒邪而反发热,是有少之里,而兼有太阳之表也,

太阳之表脉不沉,今脉沉者,是有太阳之之脉也,

故身虽热而脉沉也,所以太阳病而脉反沉,便用四逆以急救其里,

此少病而表反,便于表中加附子以固其里,

发热无汗,太阳之表不得不,沉在里,少之枢又不得不固,

用麻黄腠理,辛散浮,而无附子以固元阳,

之津液越出太阳之微阳外亡,去生便

惟附子与麻黄并用,寒邪散而阳不亡,此里病及表,

脉沉而当汗者,与病在表,脉浮而汗者径庭也

,若表微受寒亦,故以甘草易辛而微其汗,

甘以之,与辛以散之者,又少矣。

                   【集注】

           (百度百科 HPより)

2009年2月 7日 (土)

人中 (特効穴)

  久々に本格的な針治療を行いました。

 馴染みの方から、お嬢さんの急性腰痛に針治療をとの

 依頼がありました。

 最後に顔面部の督脈、水溝(顔面の鼻中隔下 別名人中)を

 使用、手応えありでした。皮内鍼も置き、例の骨盤強化体操を

 指導しておきました。

  手慣れた方の話ですと、ここに針をしたままで腰の

 運動を加えるとのことでした。

     

2009年2月 5日 (木)

千回 (ベッド上にて)

 79才のTさん(女性)。

なんとベッド上のお襁褓生活から、杖をついて

歩行可能な迄に自力回復を成し遂げました。

 昨年末まで500回のベッド上の運動を

1000回に引き上げたのが利したようです。

本人語るには1日、1200回はやっているとか。

昨秋の入院当初は、家族を含め周りは、寝たきり

老人になると予想していたのですが、見事に

復活されました。リハビリの施設の無い、しかるべき

トレーニングスタッフの居無いところで。

結局はリハビリのための施設、スタッフより、

闘病・回復など、ご自分の意欲と努力しかない

無いわけと、つくづくに思う次第です。

2009年2月 1日 (日)

方草尋源 將軍戍腰

将軍(大黄 タデ科植物)の画像説明

方草尋源 : 將軍戍腰 2008-02-23

http://jp.youtube.com/watch?v=z6vrDAiJm0s&feature=related

方草尋源 青春不老 将軍etc 

(http://jp.youtube.com/watch?v=z6vrDAiJm0s&feature=related)

 

(以下の画像:中医世家より)

Photo_2

Photo_3

2009年1月22日 (木)

清心蓮子飲の効き具合

 馴染みの75才の女性から電話あり。

 清心蓮子飲111番の服用を始めてから、
精神面で非常に改善した。憂鬱さ、不安感などが
吹っ切れて、入眠なども快適になっているとの
うれしい報告でした。

 排尿のコントロールで出し始めたのですが、
そちらはもう一つの様子です。
     
 昨年の12月始め頃に交通事故で足首を折って、
現在もまだ松葉杖生活です。事故を契機に、
もともと弱かった、シモのコントロールが非常に
悪くなり、お襁褓装着になっています。
しかし、気力旺盛で、頑張って子供さんに頼らない
一人住まいを継続されています。

2009年1月20日 (火)

葛(クズ)と酒酔い

   古より、葛の花蕾は酒酔いに良く効くとして
 二日酔いや、その予防に使われている。

 重症の急性アルコール中毒の場合
  葛花解醒湯加減などが用いられる。

  青皮・広木香・橘白・人参・猪苓・茯苓
 神曲・沢瀉・白朮・葛花
 白豆蔲・砂仁
                                                

  葛花 
      マメ科Leguminosae 
   葛Pueraria lobota (Wild.) Ohwi. の花蕾、
   薬効:解酒醒脾

  ( 李東垣内外傷弁惑論より  )

    酒客病を論ず。
   
    夫れ酒は,大熱で有毒である。気味はすべて陽で、
 形の無いものである。
 この傷害にあった場合は、最も良いのは発汗させる。
 次に良いのは、
 小便を出すことで、身体から湿気を消退させる。。。
 
  葛花解醒湯之を主る。

  葛花解醒湯
 
   白豆蔲仁  縮砂仁  葛花(以上各五銭) 乾生姜
   神曲(炒黄)
  沢瀉  白朮(以上各二銭)橘皮(去白) 猪苓(去皮)
  人参(去芦) 白茯苓(以上各一銭五分) 木香(五分)
   蓮花青皮(去穣,三分)

2009年1月 3日 (土)

正月に粗食をやれるか? その二

 昼迄は、カロリー摂取を抑え気味に行けたが、

PC操作をする際の夜食に、鍋焼きうどんを食して、

平均摂取カロリーを超えてしまった。

 なかなか、上手く行きません。

それに今日は、デスクワークを抱えていたので、

コーヒー類を5~6杯は飲んでしまった。

ノンアルコールビールも少々。

 但し、上海から手元に届いている、

臨床内科の原稿直しは結構進み、この2日で、

4病証を終えた。

 明日3日はどうしようか? 頭が疲れると、

カロリーが欲しくなる。

  

2009年1月 2日 (金)

神社の石段歩き

 丑の年、睦月2日目、今朝、バスの中から
飯倉の近くに小さな神社があるのに気がつきました。
八幡神社で、手頃な数の石段がありました。

 お昼前、帰宅途中に寄ってみました。
勾配はやや急ですが、高令の方用に手すりもあり、
石段の数は50段位でした。
 
 境内も手頃な広さで、早朝に来て体操を
するのに良さそうです。

 日頃、80才、90才台の方に、神社仏閣の
石段登りが身体創りに良いと 薦めている手前、
自分もここを利用して石段歩きと体操をやろうと
考えています。

  齢を重ねるに付け、
  坂道、 砂利道、石段に挑戦!!

2009年1月 1日 (木)

正月に粗食をやれるか?

  年がら年中、盆と正月が一緒に来たような

 食事を愉しめる昨今、身体のために

 粗食を愉しむのも、将来の健康維持のための

 一法かもしれません。

 食べるのに困った一世代、二世代前とは、

 変わりました。飽食の時代を考え直すのに、

  ラマダーンなどと大仰なことは言いませんが、

たまに粗食に近い食事で我慢するのも良いかと、

日頃贅沢に染まりきった身体に良い刺激に

なるかと一考します。

  当方、朝は雑煮など、やや豪華版でしたが、

 昼からは品数の少ない食事にしております。

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page333.html

残念ながら、夜は若干品数が増えて、アルコールが

少々。貰い物の“越乃寒梅”を若干量愉しみます。

2008年12月30日 (火)

メイヨークリニック  ⅩⅠ ③

メイヨークリニック ⅩⅠ(2008.11.15) より

メイヨークリニック ⅩⅠ ②

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-db7f.html

 メイヨークリニック 余話 ③

    Dr Osler
  聖路加の日野原先生の惚れ込んでいる
オスラー博士について。

 カナダ生まれで牧師の子供、モントリオールの
マギール大学部 McGill 大学医学部出身の医師です。
1911に英国でknightの爵位を受けて、その後は
Sir Wiliam Osler と呼ばれています。

 1892年に、The Principles and Practice of Medicine
出版しており、当時は一番権威のある医書でした。

 メイヨークリニック Ⅹの項で説明したように、
ウイルWill Mayoとの劇的出会いを持った医師です。

 「患者中心の医療教育と科学調査」という

ジョンズホプキンスの医学理念を

広めた、ジョンズホプキンスの創設期の主要スタッフです。
   
  ところで、新設医大のJohns Hopkins Uniの
医学部とJH hospital病院内に寝泊まりさせ 
24時間制のclinical clerkshipsという理念で、
若い医師達を、鉄は熱いうちに打て
厳しく鍛え上げる、臨床レジデント制度を打ち立てたのは、
ここJohns Hopkinsです。

  オスラーは、若い医師、医学生は患者さんを
見て、また話しをすることで 体験して学ぶことが
大切という信念で、臨床レジデント制度を確立しました。
奴隷制にもまがう、若手医師の”しごき”教育制度を
打ち立てました。

 また、彼は数名の学生を連れて回診をする制度、
ベッドサイド教育法の開拓者でもあります。
ある学生は彼の診察を、「身体所見の
  完全無比なるチェックを見せて
 もらった」と述べています。
この制度は、アメリカの医療教育の基準となり、
その後、英語圏の医学教育制度として広がっていきました。
         
 
   今世紀になって、アメリカから優れた医学研究が
沢山なされていますが、
これは,アメリカ全体の医学教育水準の向上と
いうことが基礎にあります。
オスラー達の創立したもアメリカ医師会の
医学教育病院協議会の
提議によって、1929年までに約100校の医学校が、
その医学教育の教育内容の低劣さ、環境制度の
不十分さが問題にされて廃校になっています。
当然、医学生の質が上昇し、欧州医学に並ぶ
水準の医師、医学研究者の輩出に至り、
現在では世界の医学界をリードする存在になったのでした。

  オスラーの格言など
  He liked to say, "He who studies medicine
without books sails an uncharted sea, but
he who studies medicine without patients does not
go to sea at all." He is also remembered for saying,
"If you listen carefully to the patient they will
tell you the diagnosis" which emphasises the importance
of taking a good history.

メイヨークリニック Ⅹ

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-f9a4.html

2008年12月24日 (水)

寒さにめげず。

なぜか、74才にしてこの秋から水泳に

通い出した方がいます。

  この寒い冬にも頑張って通ってらっしゃいます。
 それまでは、運動など薦めても、やる程の気力が出ないような
状態でしたが、この春に息子さん家族と一緒に
倫敦に旅行してから、心機一転したのか、
動ける身体を求める気持ちが出来てきたようです、

 クロールを練習しているようですが、
息継ぎが出来ないとぼやいています。
 慢性の腰痛持ちの方なのですが、
若いインストラクターが平泳ぎを教えようと、
するのに閉口気味のようです。

 40才、50才代のご婦人に対処するのと
同じにしてはダメなようです。高令者の
トレーニングには、色々と注意すべき事が多く、
こういう若いトレーナーさん達にこれから
様々にアイデアを出して貰わなくては、
と思います。

2008年12月22日 (月)

大正元年生まれ

  御年、96才になるSさん。90才頃から

 お付き合いしています。今日も

 お嫁さんに連れられて受診されました。

  鰻もトンカツも食する由、また

 耳は遠いですが、澱みのない会話が出来、

 杖がなくてもバランスよい移動ができ、

 Ax4という、評価をご本人にお伝えしたところ

 喜ばれていました。AAAの上という意味です。

 美容室も一人で出かけているとの事(この場合は杖を持って)。

  元気で100才が視野に入ってきている様です。

2008年12月16日 (火)

フラダンスの薦め

 もう1年の付き合いになる方、
80才後半に入られている方です。
 フラダンスをボツボツと
再開されています。昨年12月末に
急激な座骨神経痛で、杖を頼りに、
来院.。それから、毎週数回の
来院で、運動療法をお教えしながら、
現在、7~8割がたの治癒の状況になっています。

 過去に10年以上やっていた
フラダンスを本格的に再開できそうです。

 先日、お師匠さんの出ているDVDを
持参されました。何百人とお弟子さんを
持っている50代の方ですが、
さすが、優雅な立ち居、手足の素晴らしい動きを
惚れ惚れと眺めております。

高齢者の方のリハビリ、機能訓練に良さそうです。

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_0dfc.html

 

 <高齢者の坐骨神経痛 >。

 86歳で坐骨神経痛を治す 

他にも、ほぼ同じ85才の方ですが、

両側の酷い坐骨神経痛を、やはり動きながら治す

という戦略で、うまく軽快に持ち込めているケースが

あります。

さきの寒い1,2月でも動いて神経痛を

軽くするいう治療姿勢が上手行ったものと思います。

 例え雨がふっても、傘をさしてでも外に出るようにと

厳しい姿勢で指導しています。年齢を問わず!!

秋晴れの結婚式日和で(2008.10.12)

 85才でフラダンスをやっている方を知っていますが、

このベリーダンスも場合によっては

若返り法として採用すると面白いようです。

2008年12月11日 (木)

ヨクイニン 薏苡仁の錠剤

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-c823.html

またまた、薏苡仁。

薏苡仁(ヨクイニン) 鳩麦の種から成る生薬です。

最近、これがアテロームに劇的に効いた

症例を経験しました。 80才のご婦人で、

1,2年前に背中におできが出来たと、

相談があり、粉瘤の炎症を起こしたものとして初期処置を

行い、その後の再診時に、薏苡仁の錠剤を処方して

おきました。

最近、同部がブツブツしてきたので、

残っていた薏苡仁を服用したところ、きれいに

なったと。

確かに、今週受診時、背中の左側にあった

盛り上がりは消失していました。

 処方量は少なめでした。

黄色腫に有効であった症例もあります。

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page116.html

Yokuinin

(薬膳のHPより)

2008年12月 7日 (日)

番紅花・蔵紅花

 アヤメ科の多年草。サフランのめしべの花柱が
生薬とされる。ヨーロッパ南部~小アジア、
中央アジア~南アジアが原産地とされる。

 これが、先日、長年に渡る睡眠薬依存状態、
強い睡眠薬ハルシオーンがないと満足な睡眠が
取れなかった高令の女性に使った所、見事な効果が
出ました。夜になって、ちょっと服用しただけで、
猛烈な睡魔に襲われて眠りについた由。

 中近東では米飯(サフランライス)の上に撒いて食したりなど、
日常生活に種々な形で取り込まれており、また
女性特有の疾患に良く使われ、女性の聖薬とされる。
欧州でも、健胃剤、鎮静剤などとして
使用されてきている。 

 漢方的、中国漢方(中医学)的には、活血・
通経・清心の作用があるとされる。
  鎮静よりも、活血の効果を狙ったのですが、
今回の劇的な催眠効果に驚きました。

2008年12月 6日 (土)

再起不能と言われても。

 最近、70才前の老体(?)に鞭打って、

見事に主治医の予想を裏切って、60日位で、

半身不随の身体をなんとか動かせるように、

トイレなど、身近な動きを一人で

こなせるようになった方がいます。

杖を使えば立位も保持できるようです。

 その奥さんを診ている関係で、相談があり

とにかく、主治医やリハビリ担当が要求するより、

先に先にと自分でやれる動きを徹底的に

自己努力でやって行くように助言しておきました。

一日中でもやれば良いなどと

 非常にやる気のある方だったようで、

見事な復活を果たしつつある様子です。

脳幹の急性病変(出血・梗塞)で、まず

死亡しなかったのが非常に運が良かったのですが、

良くなっても、一生、車椅子生活」の御託

発憤されたのか、見事な回復ぶりを見せています。

  退職されてから、奥さんが感心するくらいに、

日々、身体の手入れに怠ることが無く、

身体を若く保つようにされていたようです。

1日2~3時間は各種の運動・体操を

やられていたとのことです。

こういう時に日頃の身体訓練がものを言うのでしょう。

2008年12月 1日 (月)

長引く咳嗽

 最近の風邪の傾向。

 何故か、咳が長びいて漢方の相談に来る

 ケースが増えています。 とくに若い世代で。

 従前のケミカル主体の薬のみでは、コントロールが効かない

 身体の劣化が起きているのでしょう。

 空気、水など生活環境の劣化も当然に問題ですが。

  基本的なうがいの励行とか、古人の様々な工夫を

 考え直したいものです。年寄りの知恵や意見に耳を

 傾けるべき時でしょう。核家族の生活スタイルも、倹約の

 時代に入りそうな当節、再考すべき時かも知れません。

2008年11月27日 (木)

メイヨークリニック  ⅩⅠ ②

          
         メイヨークリニック 余話 ②

メイヨークリニック ⅩⅠ(2008.11.15) より

    創設時のジョンズホプキンズ病院で医師の中から
3名を取り上げて、世界のトップクラスを目指して
邁進していた当時の米国医学界の医師像を見てみましょう。

 この項では先ずハルステッドを紹介します。
   
 William Stewart Halsted(1852-1922)は、米国医学界で
もっとも革新・革命的で、強い影響力をもち、非常に
重要な役割をなし、また大きな業績を残した
米国医学黎明期の最も偉大な外科医とされています。

  大学は、エールで最初の学位をとっていますが、
スポーツに非常に秀でていて、フットボールチームの
主将を務め、Yale-Eatonの試合で、最初のタッチダウンを
決めたのが彼です。他にも野球、ボート漕ぎなどにも
熱中したようで、反面、学業では目立たなかったようです。
  その後、 Columbia University College of Physicians Surgeonsに
学び、ここはトップクラスの成績で卒業しています。

   New York Hospital時代 house physicianの
頃に、体温、脈、呼吸を記載する入院チャートを
始めて院内に導入するという、業績を挙げています。

 その後、欧州に渡り、その地の秀でた外科医、
科学者に接する機会を持ちました。その中には、Chiari,
Zuckerkandl, Schneck, Billroth, Braun, Wöelfler,
Mikulicz, Kölliker, Stoehr, von Bergmann, Volkmann,
Schede, Esmarchなどが含まれます。   

 2年後に、1880年にニューヨークに戻り、
外科医また、指導者としての精力的な活躍が始まります。
約6年間にわたり、 Roosevelt Hospital,
the College of Physicians and Surgeons,
Charity Hospital, Emigrant Hospital, Bellevue Hospital
and Chambers Street Hospital などで、手術を行い、
教師・指導者として、カリスマ性を有して、
人望があり、かつ人気が高かったようです。

 ところで、まさに外科医の真骨頂というか、
豪快なことをする医師でした。自分の身内を実験台に
するようなことを2回に渡って行っています。
 一つは、1881年に、分娩後の大出血で
弱っていく自分の妹に輸血を行って瀕死の状態から
回復させています。もう一つは、
1882年にアルバーニーの田舎で病床に伏した
母親を尋ね、身体症状に、有名なCharcot'sのtriad(fever,
right upper quadrant pain, jaundice)を診いだして、
胆石の手術を夜中の2時にkitchen surgeryでもって
行うという、荒治療でその命を救っています。
台所でキッチンテーブルなどの上で行う手術を
kitchen surgeryと称して、西部開拓地でパパメイヨーが
メイヨー・クリニック Ⅶ)、行っていたように 

 この当時には驚くことはない、
普段に行われる治療術であったようです。

  上記の治療、手術は、すべて米国で行われた最初の
輸血治療であり、最初の胆嚢切除手術になりました。

   また有名なハルステッドの乳癌に対する乳房切断術
(radiacl mastectomy)が、この1882年に
発表されています。 鼡径ヘルニアの術式もハルステッドが
1889年に確立させています。
 
  1884年に、コカインの麻酔への応用に
関するレポート(  Sigmund Freud配下の学生)を
目にしてから、コカインを使った麻酔の実験の虜になり
彼の生活、仕事ぶりに大きな変化がもたらされます。
コカイン麻酔の実験(人体実験)に夢中になった
同僚医師達は次々と、倒れて行き、生き残ったのは、
彼とDr Hallのみでした。

 ところで、コカインを使用した局所麻酔は
オーストリアのウイーンで、Vienna General Hospitalの
コーラー Karl Koller(1857‐1944)が1884年眼科手術に
施行したものが世界で最初となります。
コーラは、ウイーン時代のフロイドの同僚になります
 
  ハルステッドはロードアイランドのサナトリウムで
薬物中毒の施療を行っています。が、最後まで、
薬物中毒から抜け出せず、後生にはコカインに替わって、
モルヒンによる薬物中毒の状態が続いたようです。
   所で、彼の生徒・弟子であったハーベイ・クッシング
Harvey Cushing は、その師ハルステッドの薬物中毒には、
全く気付かなかったとのことです。
 Oslerが書いた書物で、彼のモルヒン依存症が
証されたようです。
 
 さて、ハルステッドは、Dr Welchと
New York Hospital時代に知り合い、親友となっており、
その誼で、 コカイン中毒症の療養を終えてから、
新設のBaltimoreのジョンズホプキンズ病院に
移動することになります。

 有名な外科手術用のゴム手袋の開発は、後の奥さんになる
Caroline Hampton ( 有名な南軍の将軍General Wade Hampton III.
の姪)の接触性皮膚炎対策に、Goodyear Rubber Companyに
手指の感覚を鈍らせない薄さのゴム手袋を創らせて、それから
手術場でのゴム手袋の使用が始まります。それまでは、外科医は
軍手など布の手袋とか、あるいは素手で手術に臨んでいたようです。

 東大の外科の2代目教授の医局出身の先生で手術に軍手を
使用していた老外科医を知っています。

 ハルステッドはゴムによる無菌性が保持されることには、
後になって気づいたようです。奥さんは謹厳実直、倹約家、一方
ハルステッドは、資産家の出で、贅沢好きで、また服装など
お洒落で、非常にダンディな紳士であったようです。

 1883-1886年には、自己輸血、
生理的食塩水輸液について着目しています。
The Operative Story of Goiter の書籍を1920年に
出版しています。1919年に自分の胆石を摘出を
弟子の外科医にやらせています。

 1922年にはcholedocholithiasisとなり命を失います。

メイヨークリニック Ⅹ(2008.10.07)

メイヨ-クリニック Ⅸ(2008.09.29)

メイヨー・クリニック Ⅷ

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-ac19.html

2008年11月17日 (月)

超音波講習会の一日

  久しぶりに日曜日の新宿に出向きました。

 某協会の主催する、超音波の講習会に参加

 しました。日立のUS機器と、超音波検査に

 熟達した技師さんが揃い、非常に充実した

 一日を過ごせました。

  夕方は、病棟に入院中の患者さんを

 見舞い、惚け防止に日記書きを指導して

 置きました。70才後半の方で、転倒打撲と

 晩秋の寒さで、自宅療養・通院加療が出来なくなり、

 息子さん、娘さんも介護に疲れ果てた様子で

 本来なら、お家で頑張って、気力・体力を

 復活させるのが最善なのですが、

 仕方なく、入院となったケースの方です。

2008年11月15日 (土)

メイヨークリニック ⅩⅠ

  メイヨークリニック 余話

メイヨークリニック Ⅹ より

      ちょっと話は脱線しますが、ついでに、
    ジョンズホプキンズ病院・医学部の
    沿革と黎明期の米国医学について少々述べます。
   
     病院、大学が冠する名前の人物、ジョンズホプキンズ
    Johns Hopkins、 とは、ボルチモア Baltimoreの
    商人兼銀行家で、米国史上、最高額といわれる
    7百万ドル(1870年代)の遺産を寄付して、
    始めに大学が、それから病院が建設されました。 
     前者は1876年に開校、後者は1889年に、
    そして医学部が1893年に開設されました。
  財産保管委員会がジョンズホプキンズJHの遺言に従って、
    その事業を成し遂げました。
   当時の米国医学界のトップクラスの医療スタッフによる
  最新の診療を提供できる病院としての枠組みで、
  潤沢な資金を使って、最新式の設備を整え、診療・
  研究スタッフを揃えて、素晴らしい医療施設を
  つくり上げました。
   
   米国医学の牽引車としての役割を果たすものとなりました。 
  ジョンズホプキンズ大学医学部、ジョンズホプキンズ病院の
  評価は、現在でも全米の三本指に入るものと思います。

   20世紀の前半には、米国医学は世界の医学界を
  リードするものとなり、欧州に留学して学び、また
  箔をつけることも、第一次大戦後には下火になって、
  国内に留まっていて、欧州に伍す、世界的な
  医学研究、臨床ができる環境が整備されました。
    因みに、ジョンホプキンズ病院の創設期を支えた、
  オスラー・ウェルシュ・ハルステッドなどは
  オーストリア・ドイツに留学しています。
     
   この下地つくりの頃に野口英世(1900年渡米)が
  大活躍しています。
  始めはペンシルバニア大学の病理のフレックスナー
  Flexner教授の下で蛇の世話を手ずからやりながら、
  蛇毒の研究論文を出して認められ、1901年に
  開設されたNYのロックフェラー医学研究所に
  初代の研究部長になるフレックスナーと
  ともに移り、そこで成し遂げた梅毒の研究で、
   世界的に認められ、1915年には日本に凱旋し、
  祖国に錦を飾ることになりました。 
  帝国学士院より恩賜賞を授けられたり、
  公私に渡り大歓迎を受けました。 欧州の学会で当時の
  東京大学の医学部の某教授が、その学会に出席しており、
  そこで発表された、野口の素晴らしい業績と、
  その現地学会での賞賛振りを目の当たりにして、
  日本では学歴が低く、普通では問題にされない、
  野武士研究者、野口が日本でも高く評価されることに
  貢献したようです。1911年に
    京都大学医学部に論文を提出して、医学博士号を受けています。
     野口が米国での研究生活を始めるに当たって、
    一時、籍を置いていた、白金台の伝研の北里柴三郎の
    推薦状なども留学に利したようです。
       
     私が若い頃、とある米国の医療センターの
  医学図書室で、書架にある、野口の伝記を見つけたことが
  あります。1930年代出版、初版のもので、米国人が
  書いたものでした。 表紙に「まこと」かの文字が
  表記されていたかと覚えています。米国医学界における、
  野口の存在、業績は素晴らしいものがあったようです。
  米国で頑張る、日本人の医学研究者にとっては、「野口」
  一つの目標になるようです。
   
   さて黎明期の米国医学を語る際に、有名な話の一つは、
    19世紀中期に新大陸でエーテル麻酔が開始されたことです。
    ボストンの歯科医師 モートンWilliam Thomas Green Morton, 
    dentist.が1846年10月16日にMGHマサチューセッツ総合病院の
    臨床講堂でエーテル麻酔を供覧したのは有名な話です。
    その日に、この麻酔法によって、頸の血管腫の切除術が 
    当時のMGHの外科部長 Chief of Surgery, John Collins Warrenに
    よって施行されて成功裏に終わっております。
   その時に、彼Warrenは"Gentlemen this is no humbug."と述べ、
  この素晴らしいニュースがあっという間に
  西欧世界を駆け巡ることになりました。
    
     が、実はその前に1842年3月30日にジョージア州の
    デーニシュヴィルで医師ロングCrawford Williamson Long
(University of Pennsylvania卒)がエーテル麻酔下に
 頸の腫瘤の摘出に成功しており、その後、四肢の切断術、お産を、
 このエーテル麻酔下に施行しておりました。公式な発表は、
 モートンの供覧に遅れること2年、1848年になって、
 医学専門誌、 The Southern Medical and Surgical Journal上と
  なりました。
  この方は、西部劇のヒーロー Doc Holidayの従兄弟という
 ことです。

  本邦、日本では1804年10月13日、華岡青洲
 通仙散(麻沸湯)を用いて乳癌の手術を成功させて
 おり、 全身麻酔下で行われた手術としては、
 世界で嚆矢と認識されています。
 
     創設時のジョンズホプキンズ大学・病院で医師の中から
  上記3名を取り上げて、世界のトップクラスを目指して
  邁進していた当時の米国の
    医師像を見てみましょう。

                               to be continued

メイヨ-クリニック Ⅸ(2008.09.29) から

メイヨー・クリニック Ⅷ  (2008.09.17) から

メイヨー・クリニック Ⅶ(2008.09.16)

  

2008年11月12日 (水)

魂消た話 90才と9才

 本日、右の背部が痛むと超高齢のご婦人の

受診あり、3週間前の打ちみの部分が、

この数日、痛むので心配になったという事です。

80才の時に、肋骨3本を折ったことがあるが、

その時と痛み具合が違うなど、また

左の大腿骨頸部を骨折して云々と、

10年ほどの前のことを刻銘に覚えており、

病歴を淀みなく話されました。

 骨量検査(DEXA法)、X-Pともに問題無し。

骨量など、20才は若い70才のデータを出して

いました。

 杖をついていますが、お連れ無しで

悠々、来院。時々、孫が泊まりにくると言って

いましたが、お一人暮らしの90才の

ご婦人でした。矍鑠として、気品のある

挙措動作に参りました。ご立派、言うこと無しの

一語に尽きました。これが元気な90才に

魂消た話の一つ

もう一つの魂消た話は、

約2メーターの高さの木から落下した

9歳の男の子を最近診ました。母親が心配して、

転落事故、翌日に来診。診察時、様子は普通で、

首と腰が若干痛むくらいで、経過をみる事と

しました。腰椎L1のX-P像がちょっと

怪しかったのですが、食事摂取、排便良好で

元気一杯とのことでしたので。

 子供さんの骨、関節は得意でないので、

普段は避けるようにしているのですが、

この時は受ける羽目になりました。 

L1の気になる画像のことを伝えると、

母親がかなり心配され、5日目に

念のためにと、日曜日でも、MRIなどの

検査が可能な、滝野川にある画像センターで

http://www.mri-takinogawa.jp/

MRI検査を受けてもらいました。

出ました、胸椎D12,腰椎L1に

椎体骨損傷の画像が。しかし、本人は

学校にも塾にも行けており、

なんの不自由も訴えていませんでした。

腰の簡易バンドや湿布も、

嫌がり、付けたりつけなかったりの

状況でした。

 骨損傷が判明した後、近くの

大学の附属に準じる病院に脊椎の専門家が

都合良くスタッフで居り、そちらへ送りました。

そこでの結論も運動だけ中止で、経過観察と

いうことでした。

 9才の強さと元気さに魂消ました

所で、この気丈な90才のご婦人の

上半身打撲、9才歳の男子の

脊椎損傷と興味深いケースに出くわして、

 神様はたいした仕掛けを

人体に与えてくれているものと、

身にしみて思う次第です。

神様と言わなくとも、

何者かによって守られる、助けられる場合が

あると考える次第です。

2008年11月 2日 (日)

牡丹皮の使い勝手

牡丹根皮・丹皮・丹根などと言う。

ボタンの根皮からなる生薬です。

  駆血薬として頻用されています。

  婦女子の下腹部の各種の疼痛・圧痛・硬結など瘀血症状に

 頻用されます。24番・加味逍遥散、61番・桃核承気湯、

25番・桂枝茯苓丸また33番・大黄牡丹皮湯など

エキス剤で婦人病に非常に効果のある生薬です。

生理の崩れなどに良い106番・温経湯の構成生薬でも

あります。

 また地黄丸類にも含まれ、若返りにも有効です。

桂枝茯苓丸などは美肌の漢方薬として有名で、腰痛に 

使用していた中年のご婦人が子供に肌が若返ったように

言われたと、喜ばれていたことが有ります。

 皮膚病にも有効です。 

(ところで、23番・当帰芍薬散には含まれていない)

2008年11月 1日 (土)

メタボ 

  英文でMetabolic syndrome、中文では代謝症候群

 米国では人口の25%がこの問題を抱えるという、研究も

 あるようです。

 要は脂肪代謝障害です。

  最近、40歳のPC関係の仕事に携わる、まさにメタボリック

 症候群の方を診る機会がありました。40歳に関わらず、

お腹がつきだし、顔を含めて身体全体が円く肥満、見事な

メタボ体型で、動作も若い割にはややノロノロしており、

やはり糖尿病が判明。とにかく、身体を動かすことをしない、

睡眠は不規則で4時間くらいで目が覚める、その後

寝付けないときは、なにか知的作業をすると

語っていました。

 一頃に言われたカウチポテトちゃんでした。

 頸から上と消化器のみ元気に動かしていたのでしょう。

運動器のケアーをしないで、健康に生きて行けるわけはないのですが。。

なにか誤解しているのか、面倒くささが原因するのでしょう。

 

せめてナイシトー●でも服用したいもの。内容は防風通聖散です。

2008年10月28日 (火)

本の虫さん

  読書中毒、このタイプの患者さんを複数

 診ています。この本の虫さんは一時、中止してもらうように

 お願いしています。

  特に頸から下の身体(内臓を含めて)の再建を

早く行いたいのでしたら、この知的な楽しみを

中断することが必須となり、

頸から上の愉しみ(読書などの文化的活動、

また美食も含む)のみを続けながらでは、

崩れた身体を再建することは非常に困難になります。

  その時間があったら、外に出て青い空をみて、

 星空を眺めて、骨格・筋肉系を愉しませるように

お願いしています。頸から下は、動かさないことには

どうにもなりません。

 

長時間の読書が続くと良い呼吸が出来ません。

悪い呼吸、これが一番のウイークポイントかも知れません。

 PC操作も同じことになりますね。 

2008年10月27日 (月)

高山病と呼吸法

  高山病予防の呼吸として、ヨガで行われる呼吸が

 良いとの話を聞きました。 

要は呼気を細く長く行うということです

 すると、自然と吸気が深くてしっかりしたものに

なります。吸気に囚われずに、呼気を第一義的に

重要視した呼吸法で、なかなか優れた呼吸法と

思います。これはいろいろなシチュエイションで

 応用することが出来そうです。

 呼気を重要視する点ではA Weilの呼吸法に通じる部分があります。

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page364.html

  この秋に、中国奥地の例の大地震のあった

 四川省に行かれた方があります。標高約3500mの

 九寨溝を訪問されました。この方から高山病予防の

 呼吸について教えてもらいました。

  行く前に、色々漢方薬を含めて高山病用に

(ダイヤモックス)や酸素水などを準備されて

四川の奥地へ持参されました。

 当方からはいつも処方している漢方薬を

お渡しておいたのですが、

芍薬甘草湯が非常に良かったとのことでした。

  ご本人は60才の前半のご婦人ですが、

 同じ団体に元教師の82,3才の女性が、

教え子さん(50~60才)と一緒に

参加されていて、高山病にもならず、四川の

髙地で元気よく過ごされていたとの事でした。

九寨溝

Lrg_10114969_2

 http://4travel.jp/overseas/area/asia/china/jiuzhaigou/より。

2008年10月21日 (火)

七物降下湯( 修琴堂創方) 異聞 Ⅱ

修琴堂創方(修琴堂方)より

   例の82歳の女性、
  一ヶ月後も120/60の素晴らしい血圧安定。
  七物降下湯を夜一袋服用にして、廃薬コースに入りました。
   次回で多分で廃薬となります。
         
    しかし、山から戻ってきたばかりで来院した
   との事で、なにかよじ登るような動作を必要とした、
   険しい山だったようです。前に傷めた手首が云々の話が出ました。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 七物降下湯 (しちもつこうかとう)

 芍薬 当帰 黄耆 地黄 川芎 黄柏 釣藤鈎

     今回、82歳の女性に使用しました。
内科の錠剤を飲み始める前に、先ずこれを
飲むように薦めました。
患者さん、半信半疑でしたが付き合って

くれました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

        

2008年10月18日 (土)

99才にて見事な旅立ち

 本年2月のOさんに続いて、この10月12日、

20年以上に渡ってみていた、Yさんが他界されました。

 この1、2年は、車椅子に頼る生活になり、

数ヶ月前より、それなりの施設に収容されて、歩行のない

生活をおくっていましたが、最後まで、痴呆の症状を

微塵もみせることなく、一貫して立派な患者さんの態度を

みせてくれました。動けない痴呆老人に囲まれた生活が

非常に嫌だったようで、不愉快極まりないとよく訴えて、

時々血圧を200前後まで上げては、

介護の看護婦さんなどが

大騒ぎしていました。

90才過ぎの頃に、夕方など食後の散歩でしょう、

杖を片手に持ち、胸を張って、毅然として歩いていた

姿を思い出します。

 最後は、知りあいの持ってきた、好物の葡萄パンを

詰まらせての窒息死だったようです。CPRで自発呼吸までは

戻ったのですが、意識は戻らず、結局、急性腎臓不全となり、

2日後に旅立ちとなりました。大往生でした

  ところで本日、弱音を吐く96才の男性にハッパを

かけておきました。

「自慢の患者さんだから、皆を失望させることの

ないようにと」。99才のYが亡くなられた後は、

この方が最高齢の患者さんとなりました。吉川英治の

三国志を読んでいるとか、

字が小さくて困るなどとこぼしていましたが、

まぁ大したものです。

そうそう、瀬戸内寂聴の源氏物語も読んでいるとか。。。

http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/o_2725.html

2008年10月17日 (金)

地骨皮のおもしろさ

    大陸では地骨・枸杞根・南骨皮・杜骨皮・江北骨皮・古城骨皮など

     ともいわれます。枸杞の根皮からなる生薬です。

 エキス剤で92番滋陰至宝湯、111番清心蓮子飲に

含まれている。清虚熱薬として使われ、

この滋陰至宝湯が、呼吸器系や皮膚科系のこじれた

病態を改善するのに非常に効果的で私の頻用しているエキス剤です。

また、慢性の泌尿器疾患で、口乾・煩躁・不安神経症状態に

111番が効果的です。

外用の煎じ葯として、ニキビ、陰部の掻痒に地骨皮は悪くないようです。

                 to be continued

2008年10月11日 (土)

89-year-old-woman

     Monthly, she has consulted mefollowed by her 60-year-old

      daughter for the last several years.

       Sometimes, she got fell and got a kind of damage upon her

       extremities and trunk.

     But she often dares to say, “Ganbarimasu 頑張ります

  and  she has not used any appliances on her gait,

      I have advised them to take a gait with hands-free

    as often as possible

     When her daughter, got hospitalized because of illness,

       she could do anything necessary by herself, 

      during the daughter's absence, at home,.

       This Musme San むすめさん, told me about it, later.

      

     I hope “ she will be Ninty years at her age, next spring

  in good shape and in good function  (仙女さん)”.

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page023.html

2008年10月 7日 (火)

メイヨークリニック Ⅹ

      To be continued 

  メイヨ-クリニック Ⅸ(2008.09.29) から
      
  当時Johns Hopins大学の医学部に
 留学中の若手医師(東京医科歯科大学卒)を
 尋ねました。
   丁度西海岸のスタンフォードの医学部
 Stanford Uni Medical Schollから心臓(心肺移植)
 移植のパイオニアとして有名なシャムウェイShumawayの
 門下生ラッツ(?)とかいう Drが移動してきた頃で、
 学内で話題になっていました。
  John Hopins大学医学部の研究室を覗いた後、
 確か地下にあった資料室で、ハルステッド医師
 Dr Halstedの使用していた遺品、ゴム手袋をみることが
 できたのは印象的でした。世界に先駆けて、
 手術にゴム手袋を使用したのは彼でした。
  彼は独逸のWillrothの下へ留学しており、
 当時の米国外科医学界の偉大なパイオニアでした。
  
  各医師の日記などの各種記録も残されていました。
 こういう記録の管理の良さが、さすがアメリカと
 いう感慨を持ちました。
  William Henry Welch(と覚えています)が、
 20世紀初頭、大正時代の日本を訪問しており、
 その時に綴った旅行記、日記を見つけました。
  日本滞在時の記事をよむことができました。
 非常に博識な人物で、当時の日本の文明論まがいの
 記述を残していました。
   
 Constellationportsidea  

お昼にはボルチモアのインナーハーバー
(Chesapeake Bayに繋がる)を望む岸壁沿いの
レストランで、名物の牡蠣で昼飯を取りました。
その際に係留されているconstellation号という、
 米国海軍の最後の帆船型軍艦を見学しました。
この近くのアナポリスに米海軍兵学校があります。
      
      
  ウイルWill Mayoが1890年代初期に
 ボルチモアのJohn Hopkisn Hospitalを初めて
 訪れたときに、偶然にオスラーDr Oslerと
 出会ったことに全ては始まります。

225pxsir_william_osler

   
   Willの思い出では、始めての訪問時のある朝早く、
 病院の来訪者用の受付でうろうろしていた時に、
 薄い鬚をはやした、身軽に動く紳士が近づいて来て、
 彼に話しかけてきたということです。
 それがDr William Osler(内科部長)でした。
 受付に居た若いWillを認めたDr Oslerが自ずから、
「何を見たいのか」と話しかけ、 
 ウィルが「西部からきたものです。
 この病院のすごい評判を聞いております。 
 お邪魔に成らなければ見学したいのです」と、
 答えると、即座に、Osler自身が案内役になって
 病院構内を連れ回して、同僚などに紹介すると共に
 顕微鏡を使う自身の臨床手技を見せたようです。
  
  手ずから、当時の先端医学の様子、最新式の
 医療施設の見学の便宜を計ってくれ、ウィルは
 訪問初日から、米国医学黎明期における科学的な
 医学の片鱗を学ぶことができたようです。

  その後、二人は永く誼を通じて、国外に出た
 Dr Oslerから、しばしばロチェスターのウイル宛に、
 Oslerが訪れた色々の国から、頼り・お土産mementosが
 届くほど親密な関係を築いています。

  米国の近代医学の成立を考える上で非常に
こういう医学関係者の出会い、交流は運命的なものが
感じられます。
  
 1889年、St Mary Hospitalが開設された
と同じ年にこの病院が開設されています。
 メイヨー兄弟達は、休暇の毎に、たびたび
ここバルチモアを訪れることになります。
20世紀初頭には、JohnsHopkins大学の医学部と
Mayo Clinicは人的交流を含めて組織自体の協力関係を
築きあげていました。
    ハルステッドDr Halsted(外科部長)などが
Mayoを指導のため、訪問しています。
またウィル自身はDr Welch(医学部長)を
養父foster father(たぶん、自分とメイヨークリニックにとって )
という呼び方で称賛しています。

  ところでJH病院の設立時には、当時の
米国医学界を代表する医学者 ウェルチ、ハルステッド
オスラー、ケリー William Henry Welch, William Stewart Halsted,
Sir William Osler, Howard Kellyなどが揃いました。

Four_doctors

(画像はWikipediaなどのHPより)

2008年9月29日 (月)

メイヨ-クリニック Ⅸ

メイヨ-クリニックはボルチモア
BaltimoreのジョンズホプキンズJohnsHopkins
 Hospitalまたその大学医学校との交流を
盛んに行っていたようです。

 その端緒は、ウイルWillMayoが1890年代初期に
ボルチモアに新設されたJohns Hopkins Hospitalを
初めて訪れた時に、偶然にオスラー医師Dr Oslerと
遭遇して知り合ったことに始まります。

 現在の米国医学界で名門とされる
ジョンズホプキンズでは1889年に
病院が設立され、当時の最新式の設備を備えて、
また一流の米国の医学者をスタッフに迎え入れて、
米国医学の発展興隆の期待を担って開設されており、
当時、米国中が注目していたようです。
 
 また4年後、1893年に開校した医学校では、
従来の杜撰な医学校入学条件を改め、入学資格として
undergraduate degreeを必要とする制度を整えました。
医学専門大学院大学の米国流医学教育様式
(医師教育に全部で8年を費やします)が、
ここから始まります。

   実は、ここJohn Hopkins大学の医学部に
80年代の後半に訪れる機会を持ちました。
南下してMaryland州へ、NYのケネディー空港で
レンタカーを借りての長距離ドライブでした。 
当時トリプルAの会員になっており、
非常に良くできたドライブマップや
各都市の詳しい案内書(レストランから
ホテル、ダライブイン、市内街路図を収載)を
手に入れて、快適なドライブ旅行ができました。

                              to be continued

2008年9月26日 (金)

修琴堂創方(修琴堂方)

  七物降下湯 (しちもつこうかとう)

 芍薬 当帰 黄耆 地黄 川芎 黄柏 釣藤鈎

    故・大塚敬節師の処方で、ご自身の血圧の調整に
創り上げた方剤です。

 今回、82際の女性に使用しました。
内科の錠剤を飲み始める前に、先ずこれを
飲むように薦めました。
患者さん、半信半疑でしたが付き合って
くれました。
  20年ほと付き合いのある患者さんで
70才代後半まで、ネパールに行き
高い山に挑戦されていました。
ネパールに行くときは、携帯する
薬として胃薬や、睡眠薬など色々処方して
あげていました。元来が丈夫な人で
常用薬を必要としていませんでした。
今でも、国内の山は冬季でも、一二泊くらいして、
 山歩きを愉しんでいます。 

   大体、半年の服用で、やや高めになりつつ
あった収縮期血圧が、見事に120~130位の
低めに安定してきました。 昼・夜に分けて
1日にエキス剤を2袋服用でした。ヤレヤレです。
       
    因みに大塚敬節先生、熊本医学専門学校の
 ご卒業で、若くして漢方の道に入られ、
 湯本求真師を師匠として昭和の漢方復興に
 大きな業績を残されました。

2008年9月23日 (火)

和漢三才図会

    久しぶりにお墓参りなどで故郷へ。

 品川にあるトランクルームから田舎に送った
 書籍の段ボール箱8ヶの内、漢方関係のものを
 入れていた箱を開けて、書籍類の一部を
 使用できる体制に戻しました。和漢三才図会が
 その一つになります。

  和漢三才図会は大阪の医師、寺島良安が30年かけて、
 編み、江戸時代初期に成った絵図入りの百科事典です。
 昭和初期に出版された版で、渋谷の古書店の戸棚に
 あったものを約20年くらい前に購入して、最近は
 トランクルームで永く眠らせていました。

   参考

  三才図会(さんさいずえ):
    中国の類書(百科事典)。
   明の王圻(おうき)の編 になる。
                               (Wikipediaより)

2008年9月21日 (日)

暑熱(湿熱)

   

    痺症関係の方は調子が総崩れです。特に夏の疲れが出がちなこの時期に
 また暑さと嫌な湿気がぶり返すと、心身ともに堪らなくなります。
 正気の損耗が激しく、普通の身体でもつらく感じますから、
 湿家においては尚更です。  皮肉筋骨、顔面頭部体幹四肢、全てが
 影響を受け、むくみ・腫れ・痛みが増悪しがちです。
  折角、数ヶ月かけて痺症を含め、体調を良くしていたのが、
 豪雨の夜などにお通夜に出かけたで、その影響が
 覿面に身体に出てきます。 

  四肢に湿邪が戻り、動きが悪くなり、痛みが戻ってしまいました。
     薏苡仁湯あたりで何とかなりましたが。  薏苡仁湯(2008.09.11)

   また脾胃が虚弱なものでは、これも外部の湿に共鳴して

  崩れが生じます。  とくに暑さ逃れで、冷えた食品摂取や冷房環境による

  冷えも大きく影響します。 内裏を冷やすため、腹の不快・軟便などが生じて

  胃腸も楽しくありません。

     

   ところで今年の異様な蒸し暑さ関わらず、心身の体調を上手く保ち、
  おめでた(ご懐妊)にたどり着いた2件の女性患者さんのケースがありました。
   

    お一人は、妊娠を考慮した処方ではなかったのですが、この蒸し暑さに
  拘わらず、体調が良くなったのでしょう、待望の第二子を宿されました。
     以前から 行きつけの産婦人科で超音波検査で胎嚢が確認された由。

2008年9月17日 (水)

メイヨー・クリニック Ⅷ

メイヨ兄弟 Mayo brothers

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 ウイルWilliam James Mayoは1861年にルスール生まれて、

その時代に開拓地を往診する父親に従って手伝いをしながら

招来の医師としての素養を磨いていったようです。

ミシガン大学University of Michiganの医学校で1883年に

学位を得ている。直ぐに、パパメイヨーの下にもどり、

医療活動を再開しています。

なお1865年生まれの次男チャーリー

Charles Horace Mayoも1888年にノースウエスタン大学

Northwestern Universityの医学校を卒業した後、

そのままロチェスターに戻っています。

兄弟二人とも、卒後の研修や臨床など、医学校に入学する前、

10代の小さい頃から、沢山の臨床を症例を父親とともに見ており

かつ沢山の臨床の手伝いをしたので、そういう医師としての

初期訓練は必要としなかったようです。

医師資格をとる為に入学したようなものでしょう。

 "We Came Along in Medicine Like Boys on a Farm"

いうように、父親が展開する臨床医学の場が

遊び場のような環境だったのです。

またパパメイヨーの側で、色々手伝ってきた母親が

医学の知識を非常に豊富に身につけており、

疾患や治療についても的確な判断ができたようでした。

Dr. Charlieは後年に"Mother was a real good doctor herself."

母親を高く評価しています。幼少期から兄弟は馬の世話や

農園の作業などをしつつ、一方では医師の卵として

鍛えられたのでしょう。地方の医学関係の集会、研究会に、

パパメイヨーは、このちびっ子達を連れ歩いたようです。

権威有る医学教育を受けることの無かった

苦労人パパメイヨ(メイヨー夫妻)の、医学教育者としての

面目躍如たるものがあります。

メイヨクリニックでは1892年にステッチフィールド医師

Dr. Stinchfieldの参加を得て、彼が経営委員になった後、

パパメイヨーは第一線より退いています。

そして1919年には公益法人not-for-profit化しています。

所でパパメイヨーはその後も元気で92才の長寿を全うしました。

この間、1883年5月に彼の有名な大竜巻事件がこの地で起きて、

セントメリー修道会との深い繋がりが培われることになり、

その後の発展の礎になった重要な出来事でした。

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ところで、この時は負傷者、重症者は、町のダンスホール

に収容されて、人手不足を補うためか、修道会の修道女が

応援にかり出されました。沢山の患者さんの看護を担当したようです。

(前のメイヨクリニックⅤで述べた修道会の建物を提供したとの

記述は間違っていました)

1889年開設の27床の病院、3階建で手術室は2Fにあり、

修道女が病院の看護スタッフとして訓練を受け、入院患者に献身的な

看護を提供し、またてきぱきと手術の手助けも出来るように

なっていたようです。

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この病院で最初の外科手術は次男チャーリーが手術術者として行っています。

次男チャーリー達は、手術や手術室の無菌環境を重要視して、

初期の外科手術の成功の要因になったようです。

次男は1908年まで、眼科治療の責任者を務め、

また甲状腺、神経系の手術を専門にしていました。

 パパメイヨーに麻酔士として訓練・教育された看護婦さんが

次男チャールズの奥さんになっています。

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(画像資料はWikioedia、MayoClinicのHPより転載)

2008年9月16日 (火)

メイヨー・クリニック Ⅶ

 ミネソタMinesoataのロチェスターRochesterにある、
開設19世紀後半のメイヨー・クリニックMayo Clinicは
すばらしい医療施設でした。

<前のメイヨー・クリニックの頭書き>

 当初は1846年開設(Wikipwdia日本語など)としましたが、19世紀半ば、
1845あるいは1846年に、パパ・メイヨー
(William Worrall Mayo)が米国に渡ったのでした。
英国人の医師として移民し、順調に医業を始めたのでは
有りませんでした。当初は医師資格を持たず、
米国で、苦節十年を経て辺境の開拓地の医師として、
認められる存在になっています。

Mayo_s1_3  
 イギリス時代はマンチェスターManchesterないし、
その近辺で、仕立屋・生地屋をしていたという、
渡米前のイギリス時代の生活が判明しています。
その父親は職人で母親は裕福な農家の出で
1819年にエッケルEccels(Salford)という村で
次男坊として生まれています。4名の姉妹があり、
内2名は幼少期に死亡しています。研究者によって
色々の資料が新たに発掘されて来ています。

 

 21med_2

27才頃に仕立屋さんの技術を持って
英国より移住しています。ただし、Manchesterで
当時の大科学者、ドールトンJohn Daltonの
謦咳に接する機会があり(Manchesterのカレッジに
通学したと言う説、プライベートに習う機会があったと
する説などがあります)、化学に強い興味を抱いていました。

 

また渡米前に英国内でかなり医学の学習をして
いたと言われており、一説にはマンチェスター、
グラスゴー、ロンドンで医学を囓り囓り学習して
いたようです。ただ医師の資格を習得するまでには
至っていませんでした。

 米国内では先ず、NewYorkの有名なベルビュー
Bellevue病院で薬剤師の仕事を得ています。ここには
長居せず、西に移動して、バッファローBuffalo、
New Yorkを経て、インディアナIndiana州の
ラファイエットLafyetteにて共同経営で
紳士用の仕立て屋’Hall of Fasshion’を開業しています。
 
 1849年に米国市民権を獲得していますが、
同年にデミング医師hDr Elizur Demingの下で
医療活動に従事する機会を持ち、その秋のコレラの
流行時に医療従事者として大いに活躍したようです。
そして、近辺のラポルテLa porteに在った、
同医師主宰のインディアナ医学校
Indiana Medical Collegeの16週間コースに登録して、
医学を再習得し、1850年2月14日付けでMDの
学位を得ています。
この際に英国時代の医学履修が換算された為か、
2回目の医学講義は免除されたようです。
学費を納めれば、例え読み書きが出来なくても学生と
なれたようです。こういうスタイルは19世紀の半ばの
医師養成の典型例のようです。
注目すべきは、この医学教育施設では100名の
学生に顕微鏡を使用させたということです。
ハバードHarvardでこの貴重な検査機器が教育に
提供されたのが1869年ですから、画期的な
ことになります。
因みにパパ・メイヨーは1870年代に家屋敷を
抵当に入れて顕微鏡を購入しています。
 
 1851年には、LaPorteで知り合ったルイーズ
Louise Abigail Wrightと結婚して、ラファイエット
Lafyetteに落ち着き、その地で奥さんが婦人帽子業を
始めて、成功させています。 
1854年までラファイエットで生活したようです。
この間、1853~1854年の冬にミズリー州Missouri
セントルイスSt Louisで、ワシントン大学の先駆体となる
医学教育施設で解剖学の助手を勤めて、
2つめのMDの学位を獲得しています。

 1854年には、当時のインディアナに多かった
マラリア熱に罹患して発作に苦しんだ結果
(マラリア熱に罹患した人々が、その発作に
苦しむ状態に嫌気がさしてという資料もあります)、
気候の良い居場所を捜し求めて彷徨したようです。
その折りに、”死ぬか生きるか、とにかく旅に出てみる”と
ルイーズに言い残して出立したようです。
 そしてミッシシッピ河沿いに定期船WarEagle号で
移動しています。最終的に到達した当時の西部開拓の
最前線、北辺のミネソタMinnesotaが気に入り、
セントポールSt Pauleを拠点に、この秋から翌年
1855年にかけて、ミネソタの北方地帯を厳冬時を
含めて3回にわたって旅しています。
この旅で現地のインディアンとも知り合う機会も
有ったようです。その間、この周辺の銅鉱山の噂で
集まってきた人々の影響で一時期を銅鉱山の
開発話に夢中になったこともあるようです。
後年になってスペリオル湖西岸のメサビ産地から
鉄鉱石が産出されています。

 その行動力に目をつけられて、1855年には
その辺境、開拓地域の民政を預かる、時の知事から、
スペリオル・カウンティSuperior county(Lake county)の
地方行政官に任命されて、スペリオル湖周辺Superior Lake Areaの
人口調査の仕事などを任されています。
この年5月から、更に3度の北方へ調査の旅をしています。

 35才の彼の当時の様子を、自分で『35才の医師、
5フィート4インチ、120ポンドの小柄でやせているが、
しなやかで強い身体を有し、活動的で抜群の耐久力と
不屈の意志を持っている・・・(拙訳)』。 
(原文)He described himself as “aged thirty-five, of the
profession of medicine, was small of stature, five feet four,
thin of flesh,weighing one hundred
twenty pounds,but wiry and active and capable of
great endurance and fortitude as my previous experience
has proved・・ ”と記述しています。
 
 その後、落ち着いてから家族をミネソタMinnesotaに
セントポールSt Paulに呼び寄せています。当時は
奥方ルイーズが婦人帽子業で家計を支えたようです。更に
1856年にはミネソタ州のルスールLe Sueur郊外に
移り住みます。そこで棄られた農場を手に入れ、
家族をそこに住まわせて、農場の仕事や、また河川の
蒸気船の仕事(フェリーサービス)に従事したりしています。
その間に医師活動も行っており、依頼があると
診療治療活動に赴いていたようです。
短軀の体付きから、「Little Doctor」と呼ばれたようです。

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 1859年の大洪水の後、ルスールLe Sueurの表通りに、
彼の兄Jamesと一緒に2階建ての建物を設けて、ここを
オフィス替わりにして医師として開業をしていますが、
蒸気船の仕事、新聞業(週刊新聞
the Le Sueur Courierの発行)など他の仕事を生業としながらの
医療活動であったようです。この頃の開拓農家では病気の際は
家庭薬や売薬などに頼るのが普通で、拗らしたような時など、
最後にやっと医師の診療を受けたようです。
経済的な余裕が無かったためと思います。

1861年勃発した南北戦争の時に、当初軍医に志願しましたが、
採用にならず、ダコタインディアンと北軍が戦争状態になった時に、
志願して、包囲されたニューウルムNew Ulmの救出に向かい、
その地で数名医師とともに負傷者、避難民(周辺の農場からの)のため
救急病院を設営しています。
当時ルソールでは奥さんルイーズが避難開拓農民のために、
自宅や納屋を開放して、11家族を収容しています。

  その後、南ミネソタを管轄する軍医
(examining surgeon for the Union Army in southern Minnesotta、
志願兵・徴集兵の健康診断を行う医師)に任命されて、
1863年、44才の時にロチェスターRochesterに移り、
翌年1864年に家族が合流しています。その後この地で
開業したようです。 この頃には医業だけで生活できるように
なった様です。市民としても精力的に活動したようで
市長職までコナしています。

 1866年には婦人の大きな腹部腫瘤を外科手術で
治しています。当地の新聞が「価値ある外科手術」の見だしで、
その一部始終を記事にしており、この頃から、一般医として
また’婦人愁訴’の外科治療に秀でているとして、
南ミネソタで知られる存在となっていきました。

 その頃はロチェスター界隈を往診して回っています。
往診先の家で、彼の台所手術Kitchen Surgery(当時は
開拓農家の台所などを利用して手術を行ったようです)を
行っています。

 その臨床例の経過、結果については、カルテなどの無い頃で、
メイヨ自身の出版物で症例報告が残されています。
所で、彼の癌や腫瘤の手術についての経過や結果については
新聞種にされてローカル新聞紙上を賑わしていたようです。
当時は、地方新聞がその土地の医師達の治療例を新聞記事にして
色々書いていたようです。
当然、当然成功例の記事もありますが、家族から聞き出した
失敗例が読者の興味をそそる新聞ネタ(ゴシップ記事)にもなった模様です。

 パパ・メイヨーは1869年にニューヨーク、
ペンシルバニアに向かい、その地で一般外科と婦人科を
数ヶ月間研修しています。ニューヨークのベルビューBellevue病院では、
始まったばかりの救急部門に興味を持ったりしています。
ランカスターLancaster、ペンシルバニア州Pennsylvaniaで、
アトレー兄弟the Atlee brothers(1845年頃から
卵巣腫瘤切除を行っていた)を訪問しています。
 
 1880年に彼はミネソタで二番目に卵巣の摘出術に
成功しています。20ポンドにも成長した骨盤の
巨大腫瘤・膿瘍(流産後)を大手術で治しました。
奥方ルイーズ夫人に、他に2名の医師が手術に加わっています。
その折りは、そのご主人の鍛冶屋に作らせた自家製の手術用の
道具(草刈り器の歯を使用)なども使用して、
開腹摘出手術を成功させています。その後の排膿が上手く効いて、
その奥さんは一命を取り留めています。この大成功を
地元新聞が大いに持ち上げたようです。
こうしてミネソタで卵巣手術のエキスパートとして名声を獲得しています。

 こういう往診の折りには息子達を伴い、手術の際には、
血管結紮や麻酔の手伝いをさせています。息子達、メイヨ兄弟は
こうして若い時から外科医としての
素養を積んで行っています。70年代の後半の事です。ある嵐の夜、
当時16才の長男がパパメイヨに付いて行った往診先の朽ち果てた
あばら屋風の旅館で既に死亡している患者さんの解剖をする事がありました。
次の患家に急ぐ要があったパパ・メイヨーが死体解剖した後、
その事後処置を息子に託しました。一人残された長男ウイリアムは、
震える自分の身体を何とか落ち着けながら、解剖した傷口の縫合と死体を
シーツでくるむ作業などを無事にやり終えたこと、
その場を急いで逃げ出すことなく、普段通りに落ち着いて
退出することができたことを、後年になっても
印象深い思い出として語っています。

250pxwilliam_worrall_mayo

後年の「LittleDoctor」

(画像・参考資料はMayoのHPなどより)

2008年9月11日 (木)

薏苡仁湯

薏苡仁湯

(薏苡仁・蒼朮・当帰・麻黄・肉桂・白芍・甘草)

 最近の著効例は、30代前半の女性の手指の関節痛に

劇的な効果がありました。右手の第4,5指の伸びの

悪かったものがスット伸びるようになり、なにか

腰痛まで直ったと報告してくれました。

以前、漢方治療初期の頃にはやたら処方しておりました。最近

その使用を見直しておりヘバーデン結節など使用例が増えています。

去風湿散寒の薬効があり、

 蒼朮・薏苡仁   燥湿除痺

 麻黄・肉桂  散寒温通

 当帰・白芍  補血活血

 炙甘草・生姜  扶正去邪 

 関節痛・筋肉痛に使用されます。

参考「中医臨床のための方剤学」

明代の明医指掌に記述されており、寒湿痺痛に使用すると

なっています。

この女性、蒸し暑い夏で、外の湿気と内の冷房などで調子を

狂わせていたのでしょう。

参考

「明医指掌」 (皇甫中 著) 巻七、痺症六

薏苡仁湯

当帰(一两) (炒,一两)薏苡仁(一两)麻黄(一两)

肉桂(一两) 甘草(炙,一两)蒼朮(米泔浸,炒,四两)

,毎服七生姜三片、煎服。

自汗には麻黄を減らし、には桂を減らす。

2008年9月 6日 (土)

大柴胡湯

 最近、大柴胡湯(柴胡・半夏・黄ごん・枳実・芍薬・大棗・生姜・大黄)
の効き具合が良い症例が続いています。

   瀉剤なので以前は使うのを控えめにしていましたが、
慢性の炎症などに上手く使うと見事な効果を示します。
ご高令のご婦人の慢性の咽喉炎にこれをベースに処方を
構成したところ、みごとに効き、80才近いこの方に
喜んで貰えました。耳鼻科の手術の後遺症で生じたもので、
色々治療をされていたのですが、全て満足行かなかった様です。

 こういう高令の女性への大柴胡湯の投与を以前なら、
躊躇してたのですが、最近では怖がらずに使用しております。

 適応:メタボ、高血圧、動脈硬化、高脂血症、胆石症、蕁麻疹、
    胃腸炎など。

      資料    金貴要略より

趺陽脉微弦.法當腹滿.不滿者必便難.兩胠疼痛.此虚寒從下上也.以温藥服之.病者腹滿.按之不痛爲虚.痛者爲實.可下之.舌黄未下者.下之黄自去.
腹滿時減.復如故.此爲寒.當與温藥.病者痿黄.躁而不渇.胸中寒實.而利不止者死.寸口脉弦者.即脇下拘急而痛.其人嗇嗇惡寒也.

夫中寒家喜欠.其人清涕出.發熱色和者.善嚔.
中寒其人下利.以裏虚也.欲嚔不能.此人肚中寒.

夫痩人繞臍痛.必有風冷.穀氣不行.而反下之.其氣必衝.不衝者.心下則痞.

按之心下滿痛者.此爲實也.當下之.宜大柴胡湯.

大柴胡湯方.
柴胡半斤.黄芩三兩.芍藥三兩.半夏半升.洗.
枳實四枚.炙.大黄二兩.大棗十二枚.生薑五兩.
右八味.以水一斗二升.煮取六升.去滓再煎.温服一升.
日三服.
                  (腹滿寒疝宿食病脉證治第十)
             東亜協会のHPより。

 

メイヨー・クリニック Ⅵ

RMH Rochesta- Methosist Hospital ロチェスター・メソジスト病院 
 ベッド数 約800 (最初の記載、千にはちょっと足りませんでした)

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 ロチェスター・メソジスト病院RMHは当初は1906年に
ジョン・H・カーラーが病院事業として、手術室、入院施設を
備えたホテル病院をロチェスター、メイヨーの施設の近くに設立したものです。 
カーラー事業体は1950年代に医療サービスから手を引き、
この際にハリーブラックマンHarry Blackmun
(メイヨークリニックの法律顧問)などの市民がメソジスト教会に
働きかけて1954年に後援団体sponsorとなってもらったようです。
1966年には、新しい設備を備えた、794ベッドの病院となり、
Rochesta- Methosist Hospital メソジスト病院として開所されました。

Rmhbdy

 ところで、メソジスト病院では、外来者に手術をバルコニーから
見学できるような工夫がされており、ガラス窓越しに斜め上方から、
術者の手さばきなど全てが見学できました。
見学可能な手術が事前に提示され、その中から見たいものを申し込む
という非常に簡単な手続きだっと覚えています。
 
 たまたま鼠径部のヘルニアの手術を覗いていたら、
セニアーレジデントが下のジュニア-レジデントに手術を
指導していましたが、途中で手順を間違えたか、なにか、
一種のパニック状態になり、アナウンスで見学者は退室となりました。
 ヘモ・アッペ・ヘルニアは外科1年生のあたるオペですが、
解剖的に迷いだしたのでしょうか? 相当に慌てて、
収拾がつかなくなったようでした。
ギャラリーを意識して余計にあがってしまったのでしょう。

 ところで、こういう宗教団体を母胎にした病院施設と
メイヨー流の医療活動が相いマッチして、世界に冠たる医療施設が、
一昔前の僻地に出来上がり、以後、常に献身的な医療サービスが
提供されるようになったことは素晴らしいこと思います。
 
 我が国の長野の片田舎の佐久総合病院の活動なども一部似た部分があると
思います。これに宗教的な信条が加わると、一段と質の高い、
素敵な医療サービスが展開されると思います。

 日本国内でも、宗教団体の持っている病院は、天理の教団のものや、
東京中野の佼成病院など、レベルの高い医療、しっかりした看護サービスを
やっています。
 後者の中野区にある病院には、一度、心疾患の患者をQQ車に乗せて
運んでいったことがありました。良いい雰囲気の対応でした。
それに比べて、当時の渋谷にある赤い十字マークの病院のサービスや
救急対応の悪いこと・拙いこと、散々に苦い思いをさせられた事があります。 
医療従事者としてのスピリットに平均レベルより劣るものがあるのでしょう。
20年前のことで、現時点では改善されていると願うのですが。
 
 

2008年9月 3日 (水)

メイヨー・クリニック Ⅴ

 セントメリー病院で手術室に入れて貰えました。当時、心臓の手術などに
興味があったので、その旨、希望を出しておきました。部長クラスのDrが
始めから付きっきりで、更衣室で着替えた後、手術室の中を連れ回しれくれました。
ここで初めて心臓のバイパス手術が如何なるものか、を参観・勉強できました。
かなり高令の患者さんの心臓手術でした。
 ところで手術場の規模ですが、当時で手術室の数は40~50だったと思います。

 

 セントメリー病院の開設) 現在約1100ベッド 
  ところでセントメリー病院は、有名なロチェスター(南ミネソタを襲った)の
大竜巻事件(1883 死者37名・負傷者数千名)の折りに重症者の治療に 聖フランシス会St Francis修道院(Mother Alfred Moes etc)が建物を病院として提供し、修道女達が看護婦さん替わりになったようです。DrパパMayoがその息子二人を伴って治療に専念し、それを修道女達が献身的な介護で支えたのでした。それが切っ掛けになり、修道会で1889年に27ベッドの本格的な病院を開設することになったようです。

   ここの修道女の活躍もすばらしい物語の一つになっています。

 後年、息子二人は外科医としての名声を確立しています。また、パパメイヨーは
非常に研究心も強い人で、当時出現した高性能の顕微鏡を購入するのに、
自分の家屋敷を抵当に入れて買い入れたというエピソードがあります。

250pxst_marys_hospital2c_rochester2 (Saint Marys Hospital  Wikipedia より)

 
  

 手術室を出てから、広い病院構内を歩いている内に、看護学校の教室の廊下に彷徨いこんだようで、教室で机に向かって座している看護学生、若い女の子達から好奇の青い目を注がれて、ソソクサと逃げ出さざるを得ませんでした。授業直前の様子でした。

 因みに、大学同級のH先生(愛知医大の脳外科旧講師)が後年ここの脳外科に
留学しています。90年代だったと思います。

(メイヨークリニックの歴史のHPより)

 The Tradition and Heritage of  MAYO CLINC

  Perhaps it was fate, perhaps happenstance or maybe even luck. Whatever you decide, this is certainly a story about being at the right place at the right time -- a moment in history when scientific discovery made possible the creation of modern medicine. It's also a story of an extraordinary family -- Dr. William Worrall Mayo, a frontier doctor, and his two sons, Dr. William J. Mayo and Dr. Charles H. Mayo, and the great institution they built, Mayo Clinic. It's the story of a deadly tornado and the partnership that evolved between the Mayo family and the Sisters of Saint Francis. It's a story about unusual dedication, willingness to face a hostile and harsh environment, a story of discovery, sharing, collaboration, selflessness and generosity. It's also a story of how people came together in a small town on the edge of America's Great Plains and built the first integrated medical practice and how that practice developed a model dedicated to providing the best care to every patient every day.

(拙訳)
 多分それは運命であったか、多分幸運の女神が微笑みを与えてくれたものでしょう。あなた方がどう判断しようが、まさに、科学の進歩が現代医学を創成していった、その時、歴史的にその良いタイミングで、より良い時により良い場所で、おきた物語である。それから傑出した家族、辺境(インデアンの襲撃などがあった頃)の医師、パパ・メイヨーとその二人の息子の物語、彼らの創りあげた偉大な医療施設、メイヨークリニックの物語である。また未曾有の大竜巻の襲来と、その時にメイヨー一家と聖フランシス修道会の修道女達との間で展開された友好関係の物語でもある。
また、過酷な環境下での特別な献身、強固な意志の物語、また貢献、協力、無欲、
寛大さの物語である。米国の中西部、大プレーンの片隅の小さな町で、如何に人々が出会い、この素晴らしい統合的な医療組織・サービスを創り上げたか、如何にして、その医療組織・サービスを、全ての患者さんに常に最良のケアを提供することの出来るもの、ケースモデルになるほどのものに発展させたかを語る物語である。

        ( http://www.mayoclinic.org/tradition-heritage/

                      to be continued

2008年9月 2日 (火)

おめでた報告

  本日、患者さんから”妊娠した”との朗報が入りました。

 婦人科の薬も併用されていたのが残念ですが、漢方も

 この快挙にかなりのお手伝いが出来たと自負しております。

 妊娠の相談を受けて、半年くらいで良い結果にたどり着きました。

  K嬢、 おめでとうございます。 

メイヨー・クリニック Ⅳ

  to be continued

    (CT画像診断)  ハワイ大学医学部にて
  ついでにCT画像診断について。

 1972年に英国の病院で始めて病院で使用が開始されたものです。
英国人のゴッドフリー・ハウンズフィールド(EMI中央研究所)が
1967年に着想して1972年に実用化にこぎつけたものです。
当初は頭部のみの画像診断しかできませんでした。
70年代後半には、日本にもボツボツ入ってきつつありました。
米国ではメイヨクリニックに始めてこのEMI・CTが設置されて
臨床に使用されたようです。開発者は1979年にノーベル医学生理学賞を
受賞しています。また同じ頃に 米国のアラン・コーマック(タフツ大学)が
独自に同様の装置を発明しており、両者が受賞者となったようです。

 
 私の場合、このCT画像診断は、始めてのアメリカ訪問時、ハワイの
ホノルルの病院を訪問した時に見学することができました。
武蔵野日赤病院・麻酔科のY先生の紹介状を携えて、同窓のH先生
(ハワイ大学医学部麻酔科教授)を訪問して、色々見学するための労を
煩わせることになりました。

 その時、H教授と一緒にchildren's houpitalに行き、CT検査のために
子供さんに麻酔をかけるのに付き合いました。その時に脳のCT画像を
始めてみることができました。まぁ当時では驚異的な画像でした。
頭蓋骨の中が見えるのですから。

 米国式のお昼休みの短時間を利用した、効率のよい、カンファランスも
見学できました。これはクイーンズメディカルセンターQueen's Medical Centerで行われました。 議事進行が早く日本のダラダラ会議に比べて、非常にテンポが早く、さすが米国式と関心しました。http://www.queens.org/index.html
 ところで、クワキニ病院Kuakinihospitaという所が、日系人医師が多く、総婦長も日系人ということで、、ここで手術室に入れてもらい、手術を見ながら、日本人の麻酔科医師と色々会話する機会を持てました。http://www.kuakini.org/
このころまでは、外国人医師がモテモテの状態がまだ続いていたようで、
医師の売り手市場のようなことを言っていました。
 
 ところで、Ford大統領の頃から徐々に米国内の医療環境、制度が変わり始め、外国人医師の採用が難しくなっていきました。自国育ちの、米国人の若手の医師を優先して採用しようという事になったようでした。 
  大学同窓で、1級上のクラスにいた、泰国からの留学生、
ワッタナチャイ先輩が、卒業後ハワイに渡って、米国の
研修制度下でレジデント生活を送っていたので、若い米国人医師に 
尋ねたら、3年ほど居た後本土に渡ったか、国に帰ったと聞きました。

 ところで、週末の休みのときに、滞在していたホテルの部屋に
電話が入りこれが外洋のクルーザーからの携帯電話によるもので
びっくりしました。実はこの教授の奥さんが米国の富豪(飛行機関係の会社の経営者か、オウナーの令嬢。なにかH先生に一目惚れされ東京まで追いかけてきたという、噂話でした)の一族で、まぁ、セレブでリッチな生活をされていました。

 ハワイ大学医学部の附属病院見学の話になりました。
  
 さて、メイヨークリニックでは、セントーメリー病院の手術室に
入れてもらえました。寄り道が長くなったので次回にしましょう。

                                                  to be continued

Saint Marys Hospital ・ Mayo ClinicのHPより

Saintmarys

2008年8月31日 (日)

メイヨー・クリニック Ⅲ

 

 Mayo Building のクリニックでは、検査部門、超音波検査のセクションで、
相手をしてくれた若手の医師とUitraSoundExamについて、
質疑応答を始めようとしたら、”自分より技師の方が詳しい”と逃げられて、情報交換になりませんでした。   当時の米国では、超音波画像診断に関しては、さほど進歩していなかった事情があったかと思います。 
             
   実は、この訪米直前に、所属していた白金台の施設の手術室で、術中超音波という診断手技を始めて行い、その利便性や将来性などを確認した折りでした。
   相手が乗ってこないので、ちょっと面白くなかったです。

             
    超音波画像診断 余話
             
    この頃、国内では超音波診断に関して、リアルタイム方式の超音波診断装置が出回り始めて、超音波による画像診断法が活気を帯び始めた頃でした。関係学会など常に熱気に溢れていました。
       この若い頃(そう言えば文部省技官、公務員でした)、教授命令で超音波画像検査にとりくませされられました。当初はContact Compound方式とかで、手動で画像を描く手法で、時間と手間がかかり、機械そのものが大変な代物でした。
      同じ施設の放射線科の講師か助教授かが、超音波画像診断が分かっているのか、分かっていないのか、まったく指導してくれない事情があり、五反田の現NTT病院へ、そこの放射線科の部長が、当時国内で最先端の診断技術を有していた事情があり、何回か通ったことがありました。そういえば本郷の第2外科にも、ちょっと見学に出向いていました。現在、杏林大学の教授をしているA先生などが、その頃は若手ながらリーダー格で、超音波診断技術を開拓せんとする意気込みで、Aloca社の機械を駆使して色々の症例を稼いでいました。
    そうこうしているうちに、東芝から素晴らしいreal-time方式、電子式の超音波診断装置が出現して煩わしい手動操作から解放されました。
     その後は、この診断法は、副作用を伴わず、無痛・無侵襲の利点から、燎原の火のごとく、国内そして世界に広がって行ったのでした。短期間のうちに、画像診断学の一角を占めるものとなりました。触診・打診、また聴診など、それに取って変わる存在となり、診断方法のとくに理学診断法が大幅に改革されざるを得なかったと思います。
    昔のベテラン医師の神業に近い触診・打診の技によるものに劣らない、見立て
(診断)が、こういう画像診断法で若い医師にも可能となりました。

                                          
                                       to be continued

2008年8月29日 (金)

メイヨー・クリニック Ⅱ

 春先の気候のよい時で、気持ちよく施設内を参観して
回ることができました。 中心部にクリニックの大きなメインビルMayo Building があり、
その附属というか、二つの病院が近くに位置していました。
セントメリー病院Saint Marys Hospital、メソジスト病院Rochester Methodist Hospital、それぞれに1000ベッド近い規模の大病院でした。
  またここが全て、非常に友好的な雰囲気で、異邦の見知らぬ若い医師にも、すべてを見せるという姿勢で、施設のツアーサービスまでありました。
申し込むと、それ専門のスタッフが1~2時間かけて施設内を
あちこちを回って説明してくれます。
         
   凄いと思ったのは、カルテ管理が非常にしっかりしており、なにか
最初の頃(多分150年前  →  約100年以上前)の患者さんのカルテを、いつでも出すことができる、ということでした。中央管理部門の広い部屋で、ベルトコンベアーの様なものでカルテ類がドンドン運ばれており、また少なくない人手で捌かれている様子は壮観でした。
   まぁ、米国医療・米国社会の素晴らしさです。古い記録の徹底した保存!!
その管理の良さ!!
   それから、カルテの記載とは、『後輩のため、後世のために記録せよ』と
いう、凄い台詞を見聞きしたことがあります。米国の専門雑誌に載っていた記事にありました。

2008年8月27日 (水)

メイヨークリニック

  ミネソタMinesoataのロチェスターRochesterにある、開設19世紀後半の
メイヨー・クリニックMayo Clinicはすばらしい医療施設でした。
  町全体が医療タウン化しており、個人の力で, メイヨー親子〔英国人医師移民ウイリアム・メイヨー、長男ウィリアム・ジェームス、次男チャールズ・メイヨー〕が、この片田舎でこういう施設を造り上げて、その後、米国ても屈指の医療サービスを展開しているのは画期的なことです。
         
  故岸首相がここで健診をうけたとか、とにかく、世界のVIP・
王侯貴族が、その健康管理・治療でよく利用する世界的に有名な
  医療施設です。今世紀になってからですと、ヨルダンのフセイン国王が
  ここで最終的な治療をうけたという報道がありました。
      

    ここのスタッフに言わせると、患者さん達は、メイヨーを
  信頼しきっており、最高最善の治療を受けているからには、
  クレームはほとんど無いということでした。10年間で数例の
  もめ事・訴訟ということでした。米国でも傑出した医療サービスを展開しています。     患者さんもその治療に満足し尽くし、家族も例え上手く行かなくても、 

  メイヨークリニックでダメなら仕方がないと納得するようです。

          
   始めて米本土を訪れた時、タイミング良く大学同級のI教授
(名古屋の私学の医学部内分泌の教授)が若手時代に修業中(留学中)で、その彼を尋ねて数日間滞在しました。彼の話ですと、第一内科出身で、彼の祖父江教授(神経内科の大家)が、アメリカに来る度に、よくここに来て雰囲気などを楽しんでいたという話です。
  西洋医学・現代医学による医療に携わるものにとって、ここの存在は米国医療の
輝ける星というか、聖地みたいなものでしょうか、いろんな意味で良い刺激を受けることができます。
         
  宿は近辺に取りました。クリニック利用者のための宿舎が、クリニックの隆盛に連れて、雨後の竹の子のごとく出来たようです。沢山ありました。健康診断とか、あるいは治療患者さんの家族などが沢山来院するため、
土地の人達が旅館業を自然と始めたようです。面白いことには、地元の人たちが
  利用する、医療施設は別途あり、それはcommunity hospital で瀟洒な作りの小さな病院でした。 経済的な理由で、こちらを利用するのでしょう。
           
 ところでサンフランシスコSFから入り、ミネアポリスMineapolisで乗り換えて、ロチェスターRochesterまでローカルの飛行機で1,2時間だっと思います。
  その飛行機に搭乗する前、待合にいる間に近くに座っていたアメリカン人のおばぁちゃま連が私に興味を持ったようで、『チャイニーズだ?』なんだかんだと五月蠅いので、手持ちのタイム誌を鞄より出して、読み出したら黙ってしまいました。 『 お黙り!』がうまく機能しました。

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page005.html

                         to be continued

2008年8月23日 (土)

Rejuvenation Ⅱ

Great grand mom, she is getting bull-neck-like.

She has now storng upper and forearms and strong shoulder muscles.

Now , she can enjoy performing the push-ups (30 times).She is later in her 80ies. 

The muscle strength, she has upraised and got acquired the two-hold grip strength in half a year..

  In the beginning, she has complained of several numbers of

her physical problems(GI tract, skin etc.)

Gradually she got recovered from her aging weakness by

Upholding the health of her body and mind..

This June, she has been in her birthplace (Suwa Nagano –Ken),

since long-time absence.

Back at Tokyo, she has looked more younger, she said “The fresh air and

Fresh foods has delivered her with the further physical strength!!”

She has made success of building up the healthy and strong body,

atthe age of 87 .

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page389.html

2008年8月22日 (金)

若返り

   80代前半の女性、もうお付き合いは5年以上です。

  身体造りに非常に積極的な方です。今はジムでの各種

  トレーニングに凝っています。

   室内のランニングマシーンによるトレーニングを始めて、

数ヶ月経ったようですが、以前は直ぐに脈が速くなっていたのが、

頻脈にならなくなったと報告がありました。

ジムで測定する血圧も、特に拡張期のものが10位は

低い値になったという事です。

 心臓が強くなり、末梢血管の壁も若く柔らかいものに

なったとお答えしておきました。

   とにかく、90才までは娘さんの世話になりたくないと

  若返りに、一生懸命挑戦されています。

   私の持説、サプルメントなど信用せず、己れの身体を

  己で鍛えるという、正道派の若返りを実行されています。

2008年8月18日 (月)

上半身がかぶりつき状態

  最近、一部ではやりの姿勢。座位が長すぎるのと、姿勢に対する考慮が

 まったく無いためと思います。すてきな姿勢、すてきな歩きを

 考え直す時でしょう。

  一度、在米の方で、在所の米国人カイロプラクターに通って、

身体の不調を直していた方(40代)が、頸椎の不調を訴えて

来診されたことがあります。カイロで直らないということです。

運動は週に2回は水泳、テニスをやっているという事でした。 

問題は、表題のみっともない姿勢でした。歩いてもらうと、

前傾姿勢で、座位状態が継続しているような上半身での歩きになっていました。

30代でも、こういう背骨の崩れを呈した方が結構います。

とにかく、デスクに長時間に齧り付き過ぎているのが原因と思います。

歩行時にも、その姿勢が続いてしまうのでしょうか?

この姿勢では身体不調は絶対改善されません。

  目線の位置を上に挙げて歩く、せっかくプールに通っているのでしたから、

 水中歩きを指示しました。胸を張って視線をあげて、上膊を積極的に

動かす。とくに外向きの動きが必要です。

上半身の上手な強化です。とくに項部から肩甲骨にかけての筋肉を強化し、

格好の良い姿勢で、格好良い歩きができるようにしなければと、

そういう指示をしておきました。

                  

胸部に良い筋肉は付いていても前屈みが癖になっていると、

変な頭痛とか、頭頸部の不快感から逃れることが難しくなるようです。

2008年8月16日 (土)

おばぁさん歩きと娘さん歩き

60、70代の女性にハッパをかけています。

 『おばぁさん歩きを素敵な娘さん歩きに変えようと』。

 姿勢が良くなり、気持ちも良くなり、また内臓機能にも非常に良い筈です。   
当然運動神経系には抜群の効果があります。 ただし疲れますが。

    昨今は、30,40代で、時に20代でも、おばぁさん化した
身体状態で、 非常に憂鬱な日々を送っている方が目に付きます。
しびれ、懈さなど、一昔前は初老期の婦人の身体症状でしたが、
なにか、若い世代でも一般化した症状となりつつある様子です。

 生活の便利さが人体を堕落させるのでしょう。これでは、
昨今、流行の心身症も改善に見込みがたたないかと思っています。

 とにかく、溌剌とした心身創りの姿勢を基本として
心身の健康を取り戻したいものです。

 PCに齧り付き、TVの視聴に現を抜かしていては、健康はなかなか戻りません。
外に出て、蒼い空、星の瞬く夜空を見上げたいものです。

2008年8月13日 (水)

姿勢の崩れⅡ・良い呼吸

 この姿勢を良くすることは、呼吸をしっかりする、良い呼吸、

元気の出る呼吸をすることに繋がります。いくら美味しいものを

食して、胃腸のみの機嫌をとっても、身体は幸せになれないと思います。

肥満のみ進行して、外観・中身ともにだらしのない身体になって

しまう可能性が高まります。いわゆるメタボリック症候群(ゴミため症候群)で、

いま、国が積極的にその対策を講じていることは、非常に

歓迎すべきことと思います。米国に多いサイコロ型の肥満など、

致死的な身体状態にならない為にも。

良い呼吸とは、いかに酸素を身体の隅々まで流し込むかということだと

思います。非常に爽やか感じが味わえる筈です。 

いくら、口や胃腸を動かしても、この種の爽やかな感覚は得ることが

出来ないと思います。昨今の珍妙な栄養学に毒されて、身体ゴミを

増やす羽目に陥るのが関の山です。

 腹六分目~八分目という、古くからの健康な食生活の基本を

再考すべき時と思います。腹がふくれては、また過剰な脂肪があっては、

横隔膜の動きが止まり、良い呼吸が出来ません。また敏捷で気持ちの良い、

動作が遠のいてしまいます。

 深い、力強い呼吸をするためには、姿勢としっかりした呼吸筋の動きが

必要とされます。姿勢が悪く呼吸が悪いと、精神活動が濁ると思います。

ネガティブ思考に走りやすく、幸せ感を得ることが出来ないと思います。

身体の充実感といいましょうか。

  

 本日も、気弱になり、病気の妄想に陥った高令者の方を、呼吸法などを

指導、再確認して、なんとか健康的な思考ができるようにとお話しました。

とある医師(開業したて)の説明の悪さが原因なのですが。高齢者が

心配するようなことを、色々並べ立てて強調することは考え物です。

次々と検査を受けさせたい意図が見え見えなのですが。

  ところで美智子妃殿下など、不遇時代にこれを乗り越えるのに、

傍らに漢方医を置いて、当然漢方薬服用などの手段を執ったことと思いますが、

姿勢を良くして呼吸を改善させたことも、健康な心身状態への復帰に

非常に有効であったと思います。

今の妃殿下、雅子様にも、良い・力強い呼吸ができる身体を作り、

精神的な安定に繋げて、健康的な幸せ感を取り戻してもらいたいものです。

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page359.html

http://homepage2.nifty.com/blacjack/page364.html

2008年8月10日 (日)

姿勢の崩れ

  最近、週刊誌S(立ち読みしかしません)で、美智子皇后のもと主治医で

あった、荘淑旂漢方医(台湾の漢方名家の出身、現在87才)による健康回復の

為の妃殿下の身体創りなどが紹介されていました。皇后が妃殿下時代ですから、

昭和50年代~60年代の話です。たしかに、50年代半ばに知り合いの

外人から美智子妃殿下の顔つきが非常に老けたものになっていると聞いたことが

ありました。声が出ないとか、当時は相当に心身を病んでいた様子です。

ところで荘医師は、先ず皇后の姿勢の崩れに気づき、その猫背を

3年かけて矯正させたようです。姿勢が崩れたままでは、しっかりした聲も

出ません。そのための体力創りで、赤坂離宮などをよく一緒に歩きになった

ようです。なにか朝5時半頃から散歩を開始していたとか記載されていました。

  

まさに、これです正しい姿勢・良い動きを復活をするだけで

健康な状態に戻れる筈です。TV、雑誌で喧伝する、用具や食品などには

引っかからないことです。

正しい姿勢の維持の狙いはもう一つ、しっかりした良い呼吸を復活する

ことです。

  

 現在、私方では、数名の方の姿勢作りをやっていますが、

一人83才の方、完全に背中が丸くなっており、普段は顔が下向きになっています。

ご本人、やる気まんまんですので、何とかなおせると思っています。

美智子皇后陛下と同じように3年以上はかかると見ています。

さきに、87才の回復例、良い先例がありますので、励ましながらなんとか

挫折しないように、リードしています。

  昨今は、特に上半身の肉体の鍛錬が必須です。そうして幸せな身体造りに

つなげなくてはいけません。超高齢者時代を生き抜くために。

  また若い人にもいえることですが、咽が常に不調、目眩が時々、

吐き気まで生じるなど、30代、時には20代で訴えるケースを診ています。

頸中心に姿勢を作り直すことが先決と思っています。酸素を頸から

上部にうまく流し込めば、こういう初老期症状も消退すると読んでいます。

  上膊の筋肉群、また肩胛骨の周囲の筋肉群など、作り直したいものです。

 姿勢の崩れた男子には、腕立て伏せを必須にしたいものです。

  

 わたし自身は、le papillonなどが非常に効果的で、お陰様で良い呼吸と

良い循環(リズミックな心臓・血管運動)を確保しています。

その内、お腹の上下を走る2本の筋が見えてくるかと楽しみにしています。

2008年7月24日 (木)

そう言えば

   

       一昔前に、青山の病院で救急医療などを担当していた、とある土曜日の

      午後に、救急車で全身を切り刻んだ、30~40才くらいの

      男性が到着。宿泊していたホテルの一室で、一晩かけて自傷行為を

      行ったようでした。要は彼女との関係の拗れから、この行動に走ったようでした。

      件の女性(彼女と思うのですが)は、我関せずの一点張りで、とにかく、

   何とか両親とは連絡がとれて、その日の内に 新幹線に乗ってくれたようです。

       当事者、顔面は切ってなかったと思いますが、とにかく体幹、手足、脚などを

   切り刻んでおり、その傷を縫合するのに、2時間以上を要した事がありました。

    しかし、この温和しそうなサラリーマン風の男性、意を決して、彼女(女性の

   友人?)と縒りを戻したくこの挙に出たようです。

      こういうときは大体は浅い傷が多いので、縫合処置は比較的容易なのですが、

      なにせ、数が多くて大変でした。
      
       心頭滅却すれば火もまた涼し。紅蓮の恋に燃えると、我が身を

      切り刻もうが痛み無しなのでしょう。 当然縫合処置の際には

       局所麻酔をしております。

心を病む。

   20才代半ばの男性の大学院生。

  両上肢に自損傷の瘢痕創が複数、それも数ヶという

  温和しい数ではない。眼は殆ど死んでいる感じで

  動作も鈍い。都立のS病院から4種類の向精神薬を

  投与されている。

   応接の態度には問題なく、痛み止めが欲しいとの

  希望。高校生時にアメリカンフットボールを2年ほど

  やっていたという身体で、上半身はかなりガッチリした

  感じ。上腕などもやや盛り上がった筋肉を呈していました。

  しかし腕立て伏せをやってもらったら、20回で精一杯。

  まず50回を指示しました。それから、できるだけ動くことを

  助言しました。いくら有効なNsaidsを使っても効果が

  でない、乏しいのは自明の理で、飲み薬は断り、筋肉注射と

  湿布を投与しました。通ってくれれば良いのですが。。。

  身体痛のコントロールをできる心身創りが出来ればと

  思っていますが。

  

2008年7月14日 (月)

お疲れムード

   最近、十全大補湯を処方すると、切れよく効いて

 かなりの数の患者さんが元気を盛り返してくれています。

 夏場の疲れは清暑益気湯と一つ覚えで

 処方していましたが、今の世相では十全大補湯が

 素晴らしく効くほどに、皆さん疲労困憊の様子です。

 主婦層のちょっとした不定愁訴も、加味逍遥散や

 加味帰脾湯などより、十全大補湯が抜群の効き目をもたらすことがあります。

 最近でも、この処方で、手指のしびれが3~4日で解消して

 その他、全身状態が非常に良くなり、今年の7月は、昨年に比べると

 まったく調子がよいと元気一杯の状態になっている中年婦人(四十才代後半)がいます。

 和剤局方

      巻の五 〔呉直閣増諸家名方〕

   十全大補湯が収載されている。

   和剤局方は当初は太医局方(初刊 1078)と名称され、その後、

  キ宗(遊び人で、最後は北の金の捕虜になり、今の黒竜江省の地で死亡)の

  代に和剤局方と改称され、南宋の時代に入って太平恵民和剤局方と

  改名されています(1148)。

  【構成内容】 四君子湯+四物湯+黄耆+肉桂となります。

  【薬効】 温補気血の作用機序で、 気血両虚・顔面蒼白・気短心悸・自汗・

   疲労感・全身倦怠・四肢不温・月経量過多などを主治します。

  D5462bfa73c7429a9e51463a

   

2008年6月29日 (日)

信濃町 7N Rm No 59

     信濃町の病院へ行ってきました。

   http://www.keio-cardiovascular-surgery.com/

  23日に心臓手術をうけた患者さん(68才)、CCUから

  もう一般病棟に移っており、お部屋を覗いた時には、

  前回同様、ニコニコと迎えてくれました。

  心臓の周りに、7本のバイパスを設置する大手術を受けた割には、

  まったく弱った様子がなく、頸からかけたモニターの入った小袋と、

  胸元に取り付けた固定のガーゼが多少見え隠れするのが気になるくらいで

  病人くささは全くなく、術後6日にしては非常に元気なお姿でした。

  これで肩の荷が下りたというか、ホッとしました。術後の

  リハビリの参考になることをお話しして辞去しました。

  ところで執刀してくれたのは欧州などで修業されたK講師でした。

   http://www.keio-cardiovascular-surgery.com/shoukai/staff/kokaji.html

2008年6月28日 (土)

Rejuvenation

         

              Grand mom, she is getting younger.

She is later in her 70ies.

She has consulted me about one and half years.

In the beginning, she has complained of her physical problems.

and at that time, she could not tolerate the action for X-ray examination.

Gradually she got recovered from her aging weakness. Last autumn, she could

overcome the incident of bone fracture at her right upper arm. With the sling on her right arm, she kept going out and did a kind of exercise. I and her family had

encouraged her not to stay at home, not to sit a long time at room, especially during daytime.

She has made success of building up the healthy and strong body. 

Recently, the optometry examination revealed that she could read the smaller characters  upon the exam board at the eye clinic.

She reported to me about the dramatic improvement of her visual acuity , to add, she showed me the black hair partly situated on her scalp. which tells that her hair color has been recovering from her gray.

Before, her hair was totally white as like Snow Mountain.

By the way,I have experienced a certain number of the recovering of the black hair on the scalp (ごま塩頭),

among the octogenarians and nonagenarians of my patients.

                    http://homepage2.nifty.com/blacjack/page023.html

2008年6月21日 (土)

Adieu! le analgesique!

    「鎮痛用の座薬が冷蔵庫で凍っています」と、患者さんに

 言われると、非常にうれしい限りです。

  このところ、パワーアップ・セルフ・リハビリに成功した方が

 増えてきています。60才~80才の主に女性ですが、早い人で

 2ヶ月も経たないうちに、疼痛コントロールが上手くなります。

  http://homepage2.nifty.com/blacjack/page066.html

 それに反して、若い20才~30才前半の女性が、非常に

 心身を弱めています。最近も、目眩症状を訴え、脳外科、

 耳鼻科と検査を受けるも、まったく異常なしという事で

 ご家族の紹介で診る機会がありました。 とにかく、

 姿勢作りと、筋力増加を指導しております。セルフメイドの

 心身創りを心がけるように勧めております。

  若い女性で、肩こり、頭痛はまだしも、指やら腕やら、痺れる、

 だるいなど、初老期の女性様の症状を訴えるケースが

 増加中です。 何故でしょうか? 大マスコミに

 取り上げて、かつ検討してもらいたい問題です。

 また、こういう状態で、赤ちゃんを産むと、当然、腱鞘炎・

 筋肉痛が待ちかまえています。

 

 

2008年6月20日 (金)

前立腺の腫塊がみごと消失

   漢方で牛車腎気丸などを投与していた方ですが、

  酷い大尿閉の問題が生じたのを機会にかかりつけの大学

  泌尿器科の教授の紹介で、都下国立にあるN病院で

  最新の治療術、PVP・  前立腺レーザー蒸散術を受けられました。

        大成功の様子です。    二泊三日で生還というか退院。

  退院時に管もすべて抜いて、その日から快適な排尿を楽しんでいらっしゃいます。

          多少、術後の血尿とか微熱の問題が生じていますが、
      140gのものが消滅したのですから、膀胱機能は フル復活です。

   US・超音波の器械でチェックさせてもらいましたが、 充実性の固そうな

   腫塊は見事に、画像上、柔らかくフワフワした感じのものに

   置き換わっていました。

             ただし、この治療法は自費です。数十万はかかる様です。

   韓国でも既にやっているようで、ツテがあれば、お隣で

   やった方が安くつくかも知れません。往復の

   飛行機の費用とか、術後の安定するまでの、諸管理の

   問題がありますが。。。

   

2008年6月18日 (水)

心身治療(心の治療)と疼痛閾値の関係など

      だいぶ前から、気になっているのですが、

   長期に渡って抗精神剤、精神安定剤など数種類飲んでいる

   方、あるいは過去にそういう既往(長期のもの)のある方など、

   なんとなく、不快刺激に非常に過敏に反応する傾向が

   あります。正常の人の倍以上に反応するのではないかと

   思います。従って、痛み止めが効きにくい傾向が

   あるようです。疼痛閾値が低くなっている場合が多々あります。

     大昔、八九三・やくざさんが裁判所に呼び出されるのが嫌で

    ある痛みを訴えて、とある病院に逃げ込み入院していたことが有りました。

    オーベンの先生(指導に当たってくれている先輩格の医師)が、

    呟くに、一番強い鎮痛剤、その当時は確かソセゴンだったと

    思います。それを打っているのに、 まったく痛みが取れないと。

    裁判に対する恐怖感か、あるいは普段から変な薬に染まっているためか、

    普通なら治まる筈の、最悪の不快刺激(疼痛)が全く、消失しない状態に

    なっていたのでしょう。

     こういう特殊な家業の人は、別として、精神安定剤で

    心の安定を計っている患者さんの場合(特に長期連用者)は、

    切々と自分の窮状を訴え、その話が長くなりがちです。

    大体が自分勝手な話が面々と続く傾向があるかと思います。

     疼痛は勿論として、不快刺激を抑える力が非常に乏しくなっている方が

     目立ちます。社会環境がそうさせていると思いますが、

     まぁ、安直に精神安定剤などの薬には、頼らない方が良さそうと、思って

     います。精神的にだらしなくなりかねないからです。 精神力(気力)など、

     養成するもの、また養成できるものと思います。 

      空元気とやせ我慢で気力を上げて、精神的に逞しくなりたいものです。

    

     

2008年6月14日 (土)

信濃町 7N 

  

  本日午後、K大学病院の患者さん(60才後半)のところに
顔を出す。 この11日に心臓の冠状動脈撮影検査を
 受けるため、緊急入院。その結果で、ステント手術か、                     胸を開いてbypass手術になるかという話になっていました。

 7階Nのお部屋に顔をだしたところ、
 ニコニコされており、23日に開胸手術を受けることとなったと
 一言ありました。 まさに「まな板の上の鯉の心境」のようでした。

 先般、5月18日の心臓検査の日、 

 (http://kominakata.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_a532.html)から、

 約1ヶ月で心臓の修復の実施となった次第です。

   Y教授のチームが万全の体制でやってくれている様子です。         
             

  わたしも、自分の心臓がちょっと心配になってきました。
  今年も心臓超音波検査はやっており、年相応の変化ようで、
   肺機能も良いときは肺活量4000mlくらいの値が出ています。
  だめ押しに、24時間ホルター検査もやろうかと考えています。

2008年6月10日 (火)

日本の危機 「魚肉大国」

  米国産牛肉の問題で大騒ぎをしている韓国の朝鮮日報のWeb上に

 興味ある記事がありましたので、以下に紹介します。

http://www.chosunonline.com/article/20070701000022

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員  朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

「魚食大国」日本の危機

「・・・・・・。世の中で魚を最もたくさん食べるのはクジラの次に日本人だという笑い話もある。

 実際に日本はアイスランドに次いで魚の消費量が世界2位(韓国はポルトガルに次いで4位)だ。日本が世界の最長寿国である理由について、10人の学者に聞けば10人全員が魚中心の食生活をその理由の一つとして挙げる。 

「、、。特異なのは世界のほとんどの国は所得が増加すると魚を食べるようになるが、日本だけは徐々に魚を食べる量が減っているのだ。過去30年で米国の魚の消費量は1.4倍、欧州は1.3